植松夫妻のパース便り6



 2007年が始まりました。今年は頑張ってアップして行こうと思います。
 2006年の後半もかなり忙しい日が続いたのでアップが遅くなりました。ご容赦ください!  この写真人が泳いでいるのが見えるでしょうか!!
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目次
2007年 6月28日 補助椅子の改良かHelmet着用義務か
2007年 6月25日 Alstonの見たKim Jong Il
2007年 6月25日 停電
2007年 6月24日 Recreational shopping
2007年 6月21日 Whale-Watching vs. Scientific Investigative Whaling
2007年 6月17日 Alston’s Cartoon(14th & 15th June 2007)
2007年 6月16日 Wannerooの魚屋さん
2007年 6月13日 踏み切り
2007年 6月10日 Garage Sale
2007年 6月10日 エーバンのテールランプのにじむ冬
2007年 6月10日 電車とトラックの衝突事故
2007年 6月 8日 Farewell our caravan
2007年 6月 6日 異文化の臭い
2007年 6月 5日 新聞記事の紹介です。
2007年 6月 3日 Perthの水飢饉
2007年 6月 3日 一万歩コース - いざよい(十六夜)の月の入りを追って
2007年 6月 1日 インド洋に沈む夕陽、インド洋に沈む満月
2007年 5月19日 St. IVES Entertainers ( in May 2007)
2007年 5月16日 クイズ番組、1 vs 100
2007年 4月21日 買出し
2007年 1月26日 猛暑
2007年 1月17日 営業時間
2007年 1月 8日 1月2日は私の誕生日
2007年 1月 5日 あけましておめでとうございます。
植松さんご夫妻の簡単なプロフィール
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6月28日 補助椅子の改良かHelmet着用義務か

 6月28日(木曜日)午前5時半、SBS TV局は前日、午後7時のNHKニュースを30分間放映した。注目したのは、自転車の補助椅子に乗せた子供が転倒の際、頭を打つ事故が年間約3000件あるので、補助椅子の改良を検討するニュースであった。
 放映を見ていて、奇妙なことに気がついた。子供がHelmetを着用していれば、被害が小さいとの発言があった。Helmetの着用は義務でないのに驚いた。
 Perthでは自転車に乗るとき、必ずHelmetを着用しなければならない。もし、違反すると罰金を払わねばならない。自転車は転倒することを前提としたルールである。自転車の二人乗りは、まれに見かけるが、幼児を乗せて走っている自転車は見たことが無い。多分、法令で禁止されているものと思う。それにしても、Helmetの着用の義務化が補助椅子を改良よりも優先されるべきと思った。

2007年6月28日記

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6月26日 Alstonの見たKim Jong Il

 Alstonは毎土曜日、9コマ漫画を書いている。昨年10月、Alstonとしては珍しく、海外の話題を取り上げた。Kimに西欧志向があるとAlstonは見ているようだ。
The West Australian Saturday June 2 2007, Page 62


2007年6月26日記

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6月25日 停電

 6月25日(月曜日)朝、Showerから出るのは冷たい水であった。気づかなかったが、土曜日、午前中に停電があったので電気温水器の電源が自動的に切れていたのである。新聞によるとPerthNorth Metropolitanで今年度最大級の停電があり、地区によって30分から3時間の停電があった。原因は変電所に落雷したためである。
 広範囲に停電した場合は、新聞に記事が出るが、局部的な地域の停電は記事に出ない。でも、停電が起きた家庭にとっては深刻な問題である。特に夜の時間帯は。
 私たちの住んでいるKallaroo地区の、今年度最大の停電は5月6日(日曜日)に起きた。その日、Lyndieから午後3時半、お茶を一緒にしようと誘われたので、Mills家を訪ねたときに停電が起きた。ご主人のAlanSophieは出かけていたが、Katieがいた。それに二匹の犬、AngieShelby
 Lyndieの日本滞在の話やKatieからUWAでの日本語授業について話しを聞き、そして私たちが3月24日から3日間CanadaYellow Knife (North West Territory) で見たオーロラの映像をTV画面に映している最中に停電した。停電が回復すると思ってしばらく待ったが駄目。陽が暮れてきたのでMills家をおいとました。
 St. Ives村の我が家に戻ると、やはり停電していた。Apartmentの入り口や廊下の照明灯はバックアップ用に変わっていた。室内はすでに暗くなっていた。用意していたローソクの明かりと単一乾電池、4個を電源とした蛍光灯である。長年、非常用照明として愛用してきたもので、リモコン制御ができる

 午後6時20分、電気が通じた。約1時間半の停電であった。日本では考えられないが、Perthでは、しばしば?この程度の停電がある。でも、最近は停電の機会は少なくなったような感じがする。
 3年ほど前にWA州の配電事業を行ってきたWestern Powerの社長が州政府の首相から解任させられた。長年、電力の安定供給を怠っていたのが首切りの理由であった。近畿圏の酋長が関西電力の社長を解任するようなもので、私はWA州のPremier Ministerの権力に驚いた記憶がある。その後WA州の配電事業は再編され、Perthおよび周辺地区はSynergyという会社が電力を供給している。(当時、何故Synergyなる社名を選んだのか、興味を持った)
 停電で困るのは、冷凍庫に入っている食品である。停電が起きた日曜日の朝、Karenの父、Denverから冷凍した鮑をたくさん頂いていた。WA州の南、南氷洋に面している避暑地、Esperanceで滞在中、海にもぐって採ってきたものである。
 鮑が成長した時期、ライセンス料を払えば、一般の人も鮑の捕獲が許される。Recreational Fishingである。Denverは海にもぐって鮑を採るのが趣味、しかしご本人は食べないので、ここ2,3年は我が家に収穫物が届けられる。Esperanceで採れる鮑は大きいので貴重である。1時間半の停電であったので、いただいた鮑の冷凍はNo Problem。よかった。
 停電にまつわる思い出はいくつかあるが、最も印象的であったのは2003年に行われたラインダンスのWA州コンペであった。10月中旬の晴天の土曜日、Perth郊外のCracovia Clubのホールで、Soloの部のプログラムが順調に進行し、40歳台の競技になった。当時、私たちが所属していたラインダンス・クラブ、Western Coyoteの代表的な踊り手、GabrielRockinghamに本拠を置く、Western Edgeの名選手、Robinとの」一騎打ちになった。両人が踊り始めて約2分、最後の見せ場で突然、ホールは真っ暗。館内は“アー”のため息。約20分後、照明が灯ったので、再演技となったが、この間両者の緊張の維持が大変なものであることが想像できた。
 オーストラリア全体の電力事情は緊迫している。原子力発電を推進する派とこれに反対する派の論争やデモが時々Newsになる。電力消費量は、1月、真夏の暑い時刻、クーラーの稼動により最高となる。
 オーストラリアの雷雲はすごいEnergyを持っているように感じられる。落雷による停電はしばしば起きる。しかし、そのBackup systemがうまくいっていないようである。つい、日本の電力配電のきめ細かいネットワークとコンピューターによる瞬時のバックアップ体制が頭に浮かぶのである。
 夜の停電に備えて、電池による照明灯や懐中電灯、スペアー電池、乾電池駆動のラジオ、CD Playerの準備は欠かせない。問題は冷蔵庫、冷凍庫である。これにはCross Finger(両手の人差し指と中指をCrossにするgesture)のみである。

2007年6月25日記

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6月24日 Recreational shopping

 Aussieの家族、特に子供のいる家族は土曜日の午後Shopping centreに出かけることが多い。何かを買うという目的は無いが、一つのRecreationである。私たちの場合は、Wanneroo Marketに出かけるのがRecreational shoppingになっている。でも、何かと忙しいので、限られた時間内で、野菜、果物、魚、デリカテッセンの店をまわっている。
 最近、日本の苗木や種子を使った果物、野菜類が出回るようになった。ありがたいことである。例えば、リンゴにはFujiの小さなラベル、柿はFuyuとして知られている。木で熟した柿を出荷しているので美味である。でも、大根はDaikonとは言わない。が、アオクビ大根が売られている店もある。この味、Beautifulである。

 魚屋の店頭に綺麗なサヨリがあった。それから、大きな鯛の頭が目に付いた。新らしそうである(腐っても鯛?)。魚屋のかみさんが、紋甲イカは冷凍されずに持ってきたもので美味しいよ、と一言。
サヨリ5匹買う。(刺身と塩焼きにする予定)

鯛の頭、五つ5ドル

我が家で調理前のモンゴ・イカ、1.2Kg

 デリカテッセンの店のオーナーが変わった。以前、Polish(ポーランド人)の奥さんがロシヤ語、ウクライナ語でもOKです、と看板を出していた。今度の店の名前はGranadaである。あの有名なGranadaMusicが頭に浮かび、Granadaについて言葉を交わした。店の中年のおばさん、スペイン語なまりの英語である。買い物のとき、何か一言、二言会話を交わすのがNormalである。Baconを12枚Sliceしてもらった。5ドル。

 ある果物、野菜店の店頭に綺麗な黄色のスイカがあった。その店は人目につきやすいように果物類を上手にDisplayしているので、結構繁盛している。色につられて、割高であった(大きな1/4切れが3.25ドル)が買った。冬であるが、WAの北の地方は温かいのでスイカが栽培できる。黄スイカは日本の味であった。

2007年6月24日記

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6月21日 Whale-Watching vs. Scientific Investigative Whaling

写真はMonday June 18 2007The West Australian紙の第一面

 記事のHead Line
 Japan's slaughter plan threatens WA WHALE-WATCHING INDUSTRY
日本の捕鯨問題はしばしばThe West紙面に載る。最近の記事のHead Line
 (注:記事はいずれも写真入り)
 Monday June 4 2007
 Turnbull accuses Japan of dummy spit over failed whale hunt moves.
 (注:Turnbullは苗字)
 Friday June 1 2007
 Japan plans to add new ships to whale fleet
 Tuesday May 29 2007
 Whaling could harm relations, Japan told
 そして、某年某月某日
 Scientist Shige says he can’t explain what scient-investigative whaling is, ask whales.

2007年6月21日記

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6月17日 Alston’s Cartoon(14th & 15th June 2007)

 Alstonが2日間、同じテーマで風刺漫画を書いた。珍しいことである。テーマはGayCoupleAdoption問題である。
 6月14日(木曜日)のThe West Australian紙、第一面に“WA men first gay couple to adopt”のHead lineで「オーストラリアで初めて、WA在住のゲイのカップルが他人の子供を合法的に養子縁組した。これは州政府が5年前に最も斬新的なゲイ差禁止法を導入して以来、初めてのことである。−− −−」
Alstonの漫画は

 6月15日(金曜日)のThe West Australian紙 9ページに「Gay adoptionplayed down」の見出しで、5年前のAnti-gay discrimination law施行時のいきさつを書いている。
Alstonの漫画は

 一目で風刺は理解できた。
 先日、民放、Channel sevenは電話で“ゲイが養子縁組をしてもよいか、否か”の賛否を問うた。中間発表ではYes 15%、No 85%であった。LawCommon senseGapをどう見るか?
 木曜日のAlstonの漫画で、Attorney General(司法長官)、McGintyが取材に応えているWeld Clubがわからない。いろいろ想像したがーーー漫画の落ちがはっきりしない。そこでLyndieに助けを求めた。すぐ返事が来た。

The Weld Club is (or should I say "was"!) a very expensive and exclusive mens club where business men would go to "network" with other business men about important issues such as making contacts for work etc. My grandad was an accountant and he always joined his young accountants to the Weld Club as he thought it was important for them to be known in the business world.
The ladies club in Perth is called the "Karrakatta Club".

These days these clubs rent rooms to various organisations to help pay the rents etc.

 これで、木曜日のAlstonの風刺は理解できた。

2007年6月17日記

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6月16日 Wannerooの魚屋さん

 Perthの中心部に近いところに日本人が経営している魚屋さんがある。刺身や冷凍ものがケースに入っていて、日本のスーパーの魚売り場に似ている。しかし、品数は少なく、割高である。私たち、日本人は肉よりも魚好きの人が多いので、魚の購入については関心が深く、話題になりやすい。ある人は自宅から40Kmほど離れたInnaloo Shopping Centreにある大きい魚屋に行くことをいとわない。
 Wannerooで、土曜、日曜日に開かれるマーケットに魚屋さんがある。何故か、2、3年ごとに店の経営者が変わる。品揃えのよい、そしてCleanの上手な魚屋さんは人気がある。
 一代前の店は閑古鳥が鳴いていた。今の店は朝早くから買い物客で繁盛している。お客さんは敏感である。
 生きのよい魚を買うために、毎土曜日は8時半過ぎに家を出て、Wanneroo Marketに向かう。9時前ぐらいに行くと、魚屋さんの店の脇の台に仕入れた新しい魚がどっさーと砕氷と一緒に並んでいる。昔の日本の魚屋さんの店頭に似ている。もちろん、店のShow CaseにはFilletにしたTasmania 産のSalmon、各種Snapper類が並んでいる。
 5月19日、WannerooのParkingでKamadaさん夫妻に出会った。“生きのよい鯵があったので買って来た”と、彼は現役のとき、郵船の船長をしていたので、魚には詳しい。早速、2匹買って来た。500円であった。魚屋さんに鱗をこそぎ、はらわたを出してもらった。
 我が家に持ち帰ってから、家で調理した。一匹は刺身にして、お昼にいただいた。日本の鯵とは姿がちょっと違うが、刺身の味は同じで美味しい。
Skippyと呼んでいる魚、味は鯵である。

 毎週土曜日、魚屋さんの店頭にはどんな魚があるか、楽しみにしている。Founderと名づけられた鰈、ヒラメに似た底魚、(から揚げにした)姿がCobraに似ているからそのように呼ばれている魚、(煮付けにした)Red Snapperなど、その都度、新鮮そうな魚(刺身に出来る)を買っている。時々、大きなCodを買う。Kamadaさんいわく、Codは日本では高級魚である。確かに、Codは刺身にしても、煮付けにしてもBeautifulである。
Red Snapperに隣り合った2匹のCod(生きがよくないので見送り)6月2日

 今日、6月16日、紋甲イカが出ていた。Cuttle Fish 5.99/Kの札があった。
 Perthに来て以来、魚屋の店頭では見るのは始めてである。大きいもの2匹、7ドル30セントで買った。家で、一匹を刺身にしたが、素晴らしい味であった。他の一匹は冷凍庫行き。下足はWannerooで買った大根と煮る予定。
2007年6月16日記

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6月13日 踏み切り

  ”踏み切り”と言う言葉の奇妙さに気づいたのはPerth便り10/06/07)を書いているときである。踏み切りというと、遮断機があって、電車が通るときにはカンカンと音が聞こえ、信号機が赤く点滅する、子供のときから馴染みのある踏み切りである。ところが、こちらの鉄道線路と自動車道路の交差点を“踏み切り”と表現するのにいささか違和感を覚えた。それゆえ、初めの原稿の“踏み切り”を“交差点”に書き改めた。
 踏み切りを辞書で引くと、Railway Crossingとなっている。
 “踏み切り”なる言葉がいつ、どのようにして生まれたのか、興味がわいた。明治時代、歩行者や荷車が線路を渡るとき、いつなんどき蒸気機関車が客車を引いてこちらに近づいてくるのかと、緊張して横断したと思う。
 線路と道路との境界に設けられていた仕切り部分で蒸気機関車が見えないことを確認して、思い切って線路を渡ったので、その境界部分に設けられていた部分を“踏み切り”と名づけたのではないか、と勝手な想像をした。線路の見通し距離が長くなかったので、踏み切らざるを得なかったことも考えられる。
 当時は舗装道路が少なく、線路の枕木の床の砕石部分が一般道路に崩れないように、その境にしっかりした隔離部分(木製?コンクリート製?)があったのではないか、と想像した。人々はその隔離部分で左右を確認して、踏み切りを超え、線路を渡り、そして線路の向こう側の踏み切りを超えたので、線路を渡ることよりも線路の両側にある二つの“踏切”を渡る意識が強かった。これが我が家の説である。
PerthでDriver Licenseを得るために使った読本がある。

これにRailway Crossingについての記述がある。

 私たちがこちらで一番長くRailway Crossingで待ったのはPort Hedlandであった。15分ほど待った。Perth北2000Kmほどの鉄鉱石の町である。幸いなことに、長い貨車の列を身近に見る機会が持てた。鉱山から鉄鉱石を積んだ貨車を機関車が港に運び、鉱山に引返すところであった。先頭に1台、中間に2台のディーゼルが約600両の貨車を曳いていた。貨車の数を勘定していたが、あまりにも数が多くなったので、しんどくなって勘定を止めてしまった。
 
貨物列車が鉱山に引返してゆく(2002年9月7日7:21)

前方にCrossingが見える




 私たちは地方の田舎に行くときRailway Crossingの有無をあらかじめ地図上でチェックしている。でも、地方のRailway Crossingで電車や列車を待つことはめったに無い。電車や列車の運転本数が少ないのである。道路に慣れているDriverには、この状況がRailway Crossingに対する意識を薄めているかも知れない。
North Victoria州の事故現場 大きな文字で”Crossig

2007年6月13日記

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6月10日 Garage Sale

 Perthの大規模なGarage SaleはBelmont、Canning Vale、それにKarrinyup地区で、規模の小さなGarage Saleは方々のShopping Centreで、日曜日の早朝から午前中にかけて大きな駐車場で開かれる。また、個人の家庭が自宅のGarageや家の前庭で土曜か日曜日に開いている。車で走っていると、Garage Sale、そして矢印や家の地番を書いた紙の箱を見かける。
 Perthに来た頃、日曜日の早朝、時々Karrinyup Shopping Centreに出かけた。骨董めいた飾り物、専門店では見かけない素敵なワイングラスや古書を見つけては買ってきた。とにかく中古品で安い物が売りに出されているので人気がある。数百台入る広い地下の駐車場はSaleの品物が並び、通路には人々であふれていた。
 St IVES村に引越しが決まると、何回か自宅でGarage Saleをした。来客用のベッドや大きなダイニングテーブル、ソファなどの家具はすぐに売れた。比較的高級な家具を丁寧に使っているので、買い手はすぐつく。
 そしてKarrinyupにも2回、Saleに参加した。出店料は15ドルであった。夏場は気候が良いので、出足が早い。Sale希望者の車は午前4時ごろに列を作り始める。最後の方になると場所が悪く、また場所が無くなるから、とにかく早出になる。
 先着順に車の駐車区域を選び、品物の展示、値札張りと大忙しである。気の早い人や出物を見つけようとする人も早くからGarageに来る。商品を並べ始めると、めぼしいものを買いに来る人がいる。プロである。特に日本人は良い品物を持ってくるから目をつけられる。この人たちは値切ってくる。買った商品は自分のところで2倍くらいの値段で売るのである。
 日本に引き上げる人は家屋、自動車、家具、電化製品、その他相当数の品物を処分しなければならない。忙しい人、Garage Saleは面倒と思う人は二束三文で業者に引き取ってもらったり、知人にあげることになる。残ったものはゴミとして処分する。
 近くのWhitford Shopping Centreの地下駐車場でも毎日曜日、地元のRotary ClubがGarage Saleを運営している。規模は小さいが、家から車で5分ほどなので、私たちは年に1回か2回、不用品の処分にSaleに参加している。
 前に住んでいたときの家にあった品物を持ち越しているからである。何しろ、今の我が家は小さいし、日本人の家の特徴でもあるが、とにかく物が多いのである。欧米の家は狩猟民屋の遺伝を引き継いでいるので、家の中はガランとしている。いつでも移動が出来る体制である。
 Garage Saleは買うよりも売るほうの立場が面白い。Whitfordは売る方も少なく、来る人も少ない。出店料は5ドルである。売る方も安い値段をつけると売りやすい。ここではKarrinyupと違って特殊なものや値段の高いものは売れない。
 6月9日、Caravanの中にあった品物を整理した。折りたたみテーブル、椅子、電子レンジ、6“の白黒TV、電気ケーブル、水道ホース、毛布などがあった。それに、Sale用と準備していた、LGのDVD Playerや靴,飾りもの、菓子の空き缶などなど。
Whitford Garage Sale風景(2007年6月10日午前7時15分)。

 値札のとおりに買う人、少し値切る人、まづは半値でOfferする人、さまざまである。この人たちとの値段のやり取りが面白い。また、客が少なくなると隣でSaleする人と“今日はどう”と話し合う。庶民の購買意識を知る意味でもGarage Saleの売り屋はいろいろな経験をする。
 ちなみに本日の売り上げは100ドルほど。大物はDVD Player 25ドル、キャラバン用電気ケーブル20ドル、ジャッキ1対15ドル、古い毛布2ドルなどなど。
 和菓子やお茶の化粧缶は捨てがたく、1つ10セントの箱に入れておいた。若い女性が喜んで花柄の小箱を、おばあさんが私のローリー入れにしようと紫の花柄の茶筒を抱えて行った。
 康子が向かいの店で見つけた古書、The Wall Chart of World History, from Earliest Times to the Present,(A Facsimile Edition) 幅32センチ、高さ45センチで、15ページにわたり連続した紙に地図、年表が細かい字や絵でぎっしり書き込まれた壁紙形式の本である。4ドル。このような珍しいものを見つけるのもGarage Saleの楽しみでもある。

2007年6月10日記

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6月10日 エーバンのテールランプのにじむ冬

A-Vanwo見送ったのは6月9日(土曜日)でした。

 私たちが持っていたCaravanはA-Vanと呼ばれ、走行中は屋根をたたんで背が低いのですが、キャンプでは三角屋根を持ち上げて、部屋を作るタイプです。Aの字の様になります。Caravanとしては小形です。

2007年6月10日記

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6月10日 電車とトラックの衝突事故

 6月5日(火曜日)昼過ぎ、Victoria州の北部の田園地帯で起きた交通事故は大惨事であった。電車の軌道と一般道路の交差点、Rail Way Crossingでトラックが電車に衝突したのである。翌日のThe West Australian紙、一面に電車の写真、そしてTrain smash carnage: “You just wonder how anybody got out”のタイトル。
 日本でも、当日、午後7時のNHKニュースで報じられたその事故は、Melbourneの中心から電車で約3時間離れた田園地帯で起きた。日本の電車に比べてややコンパクトな電車の中はWeekdayの昼下がりで比較的に閑散としていたものと思われるが、それでも、11人の人が亡くなっている。もし混んでいる電車であれば、一桁多い死者が出たものと想像できる。
 TVや新聞の事故写真を見たが、電車に衝突したトラック、踏切を通過中に側面を衝突された電車の姿は痛ましい。
 この事故にはオーストラリア特有の背景がある。日本と根本的に違うのは、軌道との交差点に遮断機がなく、信号機があるだけで、信号が赤く点滅していないときは、軌道の手前で自動車は一旦停止しないことになっている。一般道路の交差点と同様のシステムといえる。
 道路を走っていていると、この先に軌道とのCrossingがありますよという道路標識が目にはいる。もし信号が赤く点滅していたら止まれるように減速して進み、信号が赤で点滅しているときは停止する。交差点にはSTOP ON REDSIGNALの表示がある。
 見通しの良くない道路を走っていて、もしこのRail Road Crossingの標識を見落として走っていたら、交差点で赤の点滅が現れても、急には止まれない。ましてや大きなトラックにおいておやであろう。
 Perthに来た頃、私たちは踏み切りのこのSTOP ON RED SIGNALに戸惑った。本当に大丈夫だろうかと。特に、地方の田舎の山中を横切っている古めいた線路の踏切では、この信号は(失礼ではあるが)“Fail Safe”になっているんだろうか?と思い、踏み切りに差し掛かると恐る恐る最徐行して二人がかりで線路の左右を首を伸ばして見渡した思い出がある。(市内の踏切ではこんなことは出来ないが)
 オーストラリア全土に電車軌道とのCrossingは7000ケ所ぐらいと聞いている。Perthの電車路線でも、古くから開発されたFremantle線はCrossingの数が多い。しかし、近年開発された北部地区に向かっているCurrambine線には車道とは立体交差になってきている。
 もう一つの背景は、オーストラリアの物流がトラック輸送に依存していることである。Road Trainと呼ばれる2、3あるいは4両連結の大形貨物車を牽引している大型トラックが走っている。3両連結のRoad Trainの長さは58メートルもある。このRoad Trainが幹線道路を日夜走っているのである。
いろいろなタイプのRoad Trainがある。タンクローリーが止まっていたので、

 特に、オーストラリアの北部NT(Northern Territory) のDarwinとSA(South Australia)のPort Augustaを結ぶStuart HWY、そしてVictoria州のMelbourneやNSW(New South Wales)州のSydneyに通じる道路は大形トラックが行き交う物流の主幹線である。Darwinで船舶から荷揚げされた荷物をオーストラリアの大都市に運ぶためである。
オーストラリアの幹線道路網

 幹線道路脇の休憩地点で、Road Trainが時速100Kmで走っているのを眺めると、その姿は豪快であり、すさまじい音である。しかし、道路でRoad Trainとすれ違うときは緊張する。中央分離帯が無く、相対速度は200Kmである。また、乗用車がこれらRoad Trainを追い抜くのはきわめて危険であると言われている。何しろ追い抜くのに時間がかかるからである。それゆえ、幹線道路の上り坂にはOvertakingのための側道が設けられている。

 私たちは2002年8月、大陸の中心部Alice Springで開かれたBirds AustraliaのNational Conferenceに参加したとき、Perthから大陸の南海岸沿いのEyre Hwyを東へ進みPort Augastaまで行き、そこから北上してこの幹線道路Stuart Hwyを利用した。そして数多くのRoad Trainとすれ違った。私たちの車はTOYOTAの4RUNNER、四輪駆動車でCaravanを牽引している。市内の道路では目立つ大きさである。しかし、Road Trainの前ではまったく小さな存在である。すれ違うときの風圧を感じつつ、運転の左右の幅に神経を使った。後ろからRoad Trainが迫ると車を減速して、お先にどうぞ、とサインを送ることにしていた。
右を追い抜いてゆくTrain

 今回事故を起こしたトラックはSemi-Trailerと報じられた。Road Trainに比べると小形である。もし、Road Trainが衝突すると、電車はすっ飛んでしまうだろう、と思った。今後このような惨事が起こらないように、交通の専門家が安全のためにどうあるべきかを検討していると、TVは報じたが。

2007年6月10日記

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6月 8日 Farewell our caravan

2007年6月8日(土曜日)18:18
2001年10月以来、私たちの脚であったCaravanとお別れ

Caravaningの思いで
The longest straight road in Australia、146Km(時速100Km)
2002年8月10日

The Antarctic Oceanを望む
2002年8月10日

Tired, driving 650Km/day
2002年8月11日

Stay here tonight
2002年8月12日

Opal mine,
2002年8月12日

Ululu at Sun rising
2002年8月15日

Birds watching at New Heaven for a week ( No Electricity, No Water,)
2002年8月18日

Opening Ceremony of New Heaven by Aboliginal people
2002年8月21日

Wild camel in New Heaven reserve
2002年8月22日

Reptile centre in Alice Spring
2002年8月25日

Yellow Water at rising Sun
2002年8月30日

Baobab tree at Derby
2002年9月1日

Strange rocksin Broome
2002年9月5日

A dog racer
2002年9月6日

A Road Train
2002年9月11日

A wild flower in WA
2002年9月12日


2007年6月8日記

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6月 6日 異文化の臭い

 たかが、スルメの臭いであるが、大げさに言うと異なる食文化に対する反応を思い知った。5月5日(土曜日)、ラインダンスクラブ、Roleystone Rustierの12th Birthday Socialでの出来事である。
 この度、手荷物として日本からPerthに持ってきた食物は、イカナゴの佃煮、納豆、裂きスルメなどである。イカナゴはタクアンの細切りと一緒にして巻き寿司にするためである。この塩屋巻き(と、勝手に名づけている)はLine DanceのSocialやPartyで皆さん方(日本人ではない)に喜ばれる。裂きスルメも同様である。
 Perthの南、内陸寄りに位置するRoleystoneのCommunity Centreで行われたラインダンス・パーティは盛況であった。ざっと250人は来ていただろうか。ホールの周囲に設けられたテーブルと椅子はぎゅうぎゅう詰めであった。主催者のJillはとても愛想の良い女性である。そして、彼女主催のSocialでは、次々かかる音楽に対して壇上でDanceのStep throughをする。このあたりが彼女の人気の源である。
Jill

 我が家からRoleystoneまで車で1時間強。70-80Km離れているだろうか。Roleystoneは眼下にPerthの明かりが見える山の中の集落である。Karenは、私の慣れない山の中の夜の運転を気遣ってか、“わが家に泊まる予定で来たら”と言ってくれたので、その言葉に甘えた。午後6時前にKarenの家に着いた。小一時間、久しぶりのおしゃべり。そしてKarenの車で会場に出かけた。
 私たちはここ2年ほど、ダンスのクラスに出かけていない。自分たちで練習しているWorld Championshipsの課題ダンスとDuoのFree Styleダンスの練習に忙しいからである。このRoleystone のSocialで、皆さんがつぎつぎと踊っている新しいダンスのStepはコンペのダンスに比べれば簡単であるが、狭いラインの中知らないステップを見よう見真似で踊るのはどうかと思い、古い知っているダンスだけ踊ることにした。
 でも、久しぶりにいろいろな方と再開を喜びあい、近況を語り合い午前0時まで楽しいときを過ごした。
フロアー風景

 会場に着いたのが午後7時半。あらかじめ予約していたテーブルに着いた。すでに多くの人が踊っていた。人々はテーブルの上にWineやDrinkなどの飲み物、そしてつまみを広げていた。
 私たちは、用意していた缶ビールとつまみの裂きスルメをテーブルの上に置き、周囲の人にスルメを勧めた。スルメはKarenのグループの人には大変人気があるからである。
 そして我が家で作った巻き寿司(塩屋巻きとアボガドと蟹カマボコを芯にして巻いたCalifornia Roll)一皿をキッチンに運んだ。主催者はコーヒと紅茶、それに軽食を用意しているが、参加者は何か一皿持っていってもよいからである。
 しばらく経って、テーブルの斜め前に座っていた女性が、突然、私に向かって言い出した。“私は魚が嫌い。それで、それに蓋をして欲しい”そして、その人は持っていた扇子で臭いが来ないように扇いでいるのが目に入った。そうか、この人はスルメの臭いに耐えられないんだ、と思い、すぐさまスルメの入っているプラスチックケースの蓋をして、床下に置いていたボストン・バッグの中にしまいこんだ。しかし、私は“Sorry”と言わなかった。相手の言い方があまりにも唐突であり、常識の無い言い方だったからである。
 私は50年近く前、M社の中央研究所で働いていた時のことを思い出した。大学の後輩のT君がアメリカのWH社の半導体工場での実習―Apprentice(徒弟)―の感想である。当時、半導体製造の世界のトップ技術はGE社(General Electric)とWH社(Westing House)にあった。工場の現場で働いているのは女性である。日本から行った見習い生は工場現場では女工さんたちとの空間的な距離が近くなる。ある朝、T君はある女工さんから言われた。“味噌汁の臭いが嫌である”  世界にはいろいろな臭い食べ物がたくさんある。同じ食べ物なのに、とても美味と言う人、とても嫌という人、さまざまである。臭いに対する寛容の恕限度を超えると、臭いに対して反発する。反発の仕方はさまざまである。そこには臭いの受け手の人生経験や教養が反映する。
 翌朝、Karenに昨夜のスルメにまつわる出来事を話した。Karenはその時フロアーで踊っていたので、その出来事は知らない。Karenいわく“彼女は私と同じ名前。いつもFunnyな人である“と。 でも、外国に住んでいるからには、このような異文化に抵抗する人の存在に留意せねばならない。

 2007年6月6日記

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6月 5日 新聞記事の紹介です。

The West Australian Saturday June 2 2007, Page 62


2007年6月4日記

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6月 3日 Perthの水飢饉

 数年前から、Water Corporation(水道供給会社)は各家庭の水道水の使用を節約するように、積極的にPRしてきた。年間降水量が減ったので水源のダムの貯水量が大きく減ったのと、Bore Water の水源である地下帯水層の水位が下がっているためである。
 数年前、Birds Australia(オーストラリア野生鳥類観察・調査組織)のメンバーとして、Perthの南、約100Km に位置するSerpentine Damに出かけたとき、貯水量が20%ぐらいで、今にもダムの底が現れんばかりであった。Water CorporationのPRによると、Perthの水源のダムはいずれもこのような状態が続いているらしい。
 各家庭の芝生に対する散水は週2回、家屋の番地ごとに割り当てられている。ほとんどの家庭は家の前や裏に芝生を植えているので、芝生のための水消費量は馬鹿にならない。各家庭は自動スプリンクラー設備によって決められた曜日に散水している。公園の芝生も同様に、太陽が昇る前に散水が終わる仕組みになっている。
 それに家庭にプールのある家は、どうしても、水道水の使用量が多くなる。そしてWater Corporationから注意されることになる。それゆえ、プールは水質の維持管理に心がけて、プールの水の入れ替えを極力少なくし、またプールの水の蒸散を防ぐ手立てを取っている家庭が多い。
 本年はじめ、南半球最大の海水脱塩プラントがPerthの南、Kwinana地区で稼動を始めた。400,000,000.ドル(400億.円)かけてつくられたこのプラントは年間4500万トンの脱塩水が生産される。この設備投資と維持管理費用をまかなうために、各家庭は来年から従来の基本料金に30ドル上乗せされて払うことになると発表された。
 5月20日のSunday Timesは”WA’s Great Desal Debate”の特集記事を出した。WAの首相Alan Carpenterが第二番目の海水脱塩プラントを2011年までに建設すると発表したからである。その費用は1,000,000,000.ドル(1,000億円)である。
脱塩プラントのシステムはいたって簡単であるが(図はSunday Times紙に掲載されたもの)費用はかかる。

 TVのNewsで見たプラントはまるで巨大な化学工場である。海水に溶けているNaCl分子をブロックするFilterの費用とその取替え費用を想像するだけで、私は気が遠くなった。
 昭和40年代、勤務していた研究所で超小型電子回路の研究を始めた。今で言うシリコン・チップの元祖の開発であった。先ずは無塵・無菌の部屋と集積回路を洗浄するための超純水設備が必要であった。その際、超純水の製造プラント建設を経験した。原水に含まれる微小な化合物やバクテリアを取り除くFilterはすぐに詰まり、水の通りが悪くなるので、Filterは粗い目のもの、中間の目のもの、そして最終段階のFilterと、そのCostとその取替えの手間が大変だった。この超純水のコストを単純計算すると1立方メートル500円であった。
 しかし、WAの環境保全協議会は脱塩プラントの建設には批判的である。“このプラントはWAの水飢饉の根本的な解消にはならない”と。
 では解決策は? WAでは野党のLiberal PartyがWAの北部(亜熱帯地域)Kimberleyの巨大な地下帯水層から延々何千キロものパイプラインでPerthや南部の穀倉地域に水を導く計画を提唱したことがある。これは脱塩プランに比べて莫大な投資金額になる。
WAの地図 左下方の SwanRiver のところがPerth

 オーストラリア東部地区はDarling RiverやMary Riverからの引水で水飢饉を解消する案が浮上している。昨年の旱魃で、Victoria州での米の生産が平年の20%であることを、Perthで米を扱っている会社の方から聞いた。
 我が家の水道水の元栓はShower室にある。これを重宝して節水に利用している。Showerと洗濯機を回す以外は元栓を極力絞っている。洗面や流水で食器を洗う日本式洗浄方式にはこの絞りが有用と考えている。
 オーストラリア政府は言うに及ばず、人々は地球の気候変動にすごく敏感である。与党と野党の対応の違いをCartoonistのAlstonは風刺漫画にしている。彼の作品としては珍しく“セリフ”が無い。左から進むLabourの党首Rudd Kevinと右から行くLiberalのJohn Howard首相が道路の角で衝突する寸前の思いを表している。
(The West Australian紙、Friday June 1st)

2007年5月27日記、6月3日(再記)

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6月3日 一万歩コース - いざよい(十六夜)の月の入りを追って

 6月3日(日曜日)朝、久しぶりにOcean Leafの高台を往復。  
6時53分 St.IVES村の正門で

7時0分 Mullaloo Driveで

7時7分 Mullaloo Beachで

7時36分 高台でBeachを望む

7時38分 月はまだ高い

7時49分 絶好のカヌー日和

8時3分 ベンチでストレッチ

8時17分 Galaの日向ぼっこ

8時32分 St.IVES村の本館

2007年6月3日の写真から

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6月1日 インド洋に沈む夕陽、インド洋に沈む満月

 5月30日(水曜日)夕刻、天気が良かったので散歩。久しぶりにMullaloo Beachに行った。初冬の海岸である。天気が良いので、散歩に来ている人もいる。
インド洋に沈む夕陽(30日時刻17:19)

東の空には薄い夕焼け雲と丸い月(月齢13)(30日時刻17:28)

5月31日早朝、昨夕見た月はインド洋の上にあった。
赤い月である。(月齢14、時刻06:05)

 この月はまもなく雲の中に入っていった。
 満月がインド洋に沈んでゆく風景を見る機会は少ない。月が沈む時刻の制約とインド洋の水平線に雲がかかることが多いからである。
 月と太陽の位置関係から空の色や月の色が微妙に変わる。東から昇る太陽の光が地球表面すれすれに月を照射すると月面は赤い。そして空は青と赤が重なったマゼンタ色になる。陽が昇るにつれてマゼンタ色は消えてゆく。
 6月1日(金曜日)午前6時過ぎ家を出た。Perthでは月は前日に比べて約50分遅れて昇る、つまり月がインド洋に沈むのも50分ばかり遅れる。
波は穏やかであった。(月齢15 時刻06:40)

 日の出の前後は西の空の色は刻々と変化する。
西の空に沈み行く満月(時刻07:08)

ピンク色に染まった満月が水平線に接した(時刻07:17)

 約40分、気温6度の中で、がんばった甲斐があって、満月がインド洋に沈んでゆく様子を見ることができた。初めてである。
 ここで一句
桃色の月沈み行くインド洋

2007年6月1日記

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5月19日 St. IVES Entertainers ( in May 2007)

 私たちのRetirement VillageであるSt. IVES Northshoreの住人のActivityのひとつにChoir (合唱隊)がある。昨年、St. IVES村の創立10周年の記念パーティで同じテーブルだったEricからChoirに加わることを勧められた。それがきっかけで、私たちは客席からEntertainmentを楽しむ立場から各席の皆さんを前に歌う立場になった。が、楽しむことには変わりがない。言うなれば、毎月一回の学芸会である。
 今月のテーマーは”Shall we dance”である。Choirは毎週月曜日、夜7時から8時まで練習する。今月は18曲、通常の月より歌う数が多い。それに器楽演奏や独唱がある。今月は、ダンスが二つ、それにVariety Showが加わった。
 5月18日(金曜日)の夜、Choirが歌った曲は
  1. Shall We Dance
  2. Hello Dolly
  3. Missourie Waltz
  4. Anniversary Song
  5. Don’t get around Much Anymore
  6. Hey Goodlookin’
  7. Tennessee Waltz
  8. Beer Barrel Polka
  9. Takes Two to Tango
  10. Dance with a Dolly
  11. Cuanto Le Gusta
  12. Hands Knees an Boops a Daisy
  13. Jealousy
  14. Shadow Waltz
  15. Blue Skies
  16. Secret Love
  17. Blame it on the Bossa Nova
  18. Why don’t we do this more often

 と、私たちに馴染みのあるものが多かった。
Choirのメンバー(今月の人数は少なかった)
指揮を取っているのがJessie、伴奏のPamはピアノの陰にいる。

 先々週、ダンスを踊ることになっているBruceTrish夫妻から声がかかった。“ラインダンスを踊るので加わってくれないか”、“ダンスはBlack Coffee”。この夫妻はSt. IVES 村のCare takerで,仕事の休みにRock’ Rollのダンス・クラスに通っている。
 私たちは、以前、このBlack Coffeeはよく踊っていたので、OKした。最終リハーサルで踊ったが、BruceStepがおぼつかない。無理も無い。彼にとってラインダンスはBeginnerである。それで、康子が本番の前日、Bruceに踊り方を特訓した。Bruceの本番の出来は良かった。ラインダンスはラインで踊る人数が多いほど見栄えがする。二人より四人の方がMuch Betterである。
ラインダンスのひとコマ

 司会者がMusicの合間に話す小話(西洋落語?)、も交えて1時間半、約80人のAudienceを楽しませた夜だった。
2007年5月19日記

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5月16日 クイズ番組、1 vs 100

 民放局、Cannel Nineにクイズ番組“1 vs 100”がある。“Who want to be a millionaire”の後釜として登場したものである。“Who want to be a millionaire”は日本でも放映した?と聞いたことがある。私はPerth以外では、ParisとHelsinkiでこの番組を見たことがある。この世界的な番組の魅力は質問の内容もさりながら、問題がその国の文字で示される点にあった。

 5月14日(月曜日)久しぶりに“1 vs 100”を見た。先週からクイズの問題を次々と正解し続けたContestantの35歳の男性が、賞金の額が130,000.ドルに上がり、最初100人だったMOB(野次馬連)の正解者が5人に減っていた。この番組には、Contestantと同様に100人のMOBも回答に参加できる。そして、誤回答した野次馬は次の問題に進むことが出来ない。誤回答した人の数とその時の一人当たりの金額の積の集積が賞金になる仕組みである。第一、第二、第三問あたりまでの問題は比較的易しく、その金額は500ドルである。MOB一人当たりの金額は1000ドル、1500ドル----と順次上がってゆく。

 ContestantおよびMOBは問題に対して提示された三つの回答案から一つの正解を選択する。この日のContestantは前週から引き続き、第十問までクリアーしていた。彼はすでに130,000.ドルの現金を手にする権利を得ていた。次は第十一問である。問題も難しくなるので第十問あたりからContestantに問題を3秒間ほどチラリと、見せる。Contestantが次の問題に挑戦するか、賞金を持って帰るかの判断をしやすい環境づくりである。

 かたや、MOBContestantが次の問題に挑戦するよう、ヤレヤレと野次る。文字通りMobである。生き残っているMOBContestantが誤回答すると、Contestantが獲得していた賞金の額を山分けすることになる。当然、会場の雰囲気は、次の問題をヤレヤレとすさまじく野次ることになる。

 第十一問と三つの回答案は次のとおりであった。
  The Stanford-Binet test used to tell us that the lowest IQ?
   A Moron
   B Idiot
   C Imbecile

ContestantCを選択した。私たちがこの三つの単語でなじみがあるのはIdiotだけである。すぐさま電子辞書で単語を引くと、A(ばか、まぬけ)、C(低脳者)である。私は、正解はCではないかと思った。

 生き残っていた5人のMOBのうち4人は誤回答した。正解はBIdiotであった。NSW州の女性(公務員)1人のみ正解であった。彼女は130,000.ドルの現金を手に入れた。まったく劇的な幕切れであった。私たち、TVの前に座っている野次馬は、Contestantが第十問で止めて、現金を手にしたほうが良いのに、と声援を送っていたのに。

 番組の司会者、Eddieが次のように解説した。IdiotIQ 0-25Imbecile26-50Moron51-70である。

 昨日(火曜日)、St IVES村の新聞閲覧室で遅ればせながらSunday Times513日号)を見た。第一面にMotorcyclists Defy Speed CamerasのHead lineで、少年がモーターバイクに立ち上がって運転している写真が大きく示されていた。そして大きな活字で“Catch This Fool”とあり、その下に”------And his idiot mate” see page 4とあった。

 4ページ目の最上段には大きな活字で MORONS。その下に、小さめの活字で “But you can help police get these idiots off our roads”。そして通常の活字で記事があった。

 Perthの主要道路には約30台の無人のSpeed cameraが設置されているそうで、この少年たちが写った3枚の写真とバイクの速度が示されていた。60Km Zoneで、130Km114Km、そして93Kmである。JAN 27, 2007の夕方のことである。

 私たちがPerthに来た頃、戸惑った一つに、Dirtyな英単語を知らなさ過ぎたことであった。当然である。日本の英語の教科書や教材は綺麗な世界から引用しているからである。これでは新聞のニュースがさっさと読めない。ニュースは半分以上暗い話である。日本の英語の教科書はいろいろな問題点があるが、光が当たらない影の世界を英語でどのように知らしめるかも、課題の一つである。
2007年5月16日記

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4月21日 買出し

 4月21日(土)、朝8時過ぎ家を出た。
 Wanneroo Marketに1週間分の野菜、果物などの買出しである。
2ヶ月ぶりのWaneroo Marketの看板、

Market風景

 We bought somethings;
 Apples、Pears、Kaki( not Fuyu, Fuyu is expensive now, each$1.65)、Chestnuts, Bananas (Product in Carnarvon, WA), Kiwis, Avogado, Melon, Tomatoes、Potatoes、Sweet potatoes, Onions, Spinach , Chinese onions, eggs, Tofu etc,
 At fish shop a pink snapper 2Kg(asked the master to clean, head off and slices in two for Sashimi. The head cuts into 4 pieces)We bought frozen sardines (ready for Tempra)

魚屋の店頭に並んでいたRed Snapper

 Villageに着いて買い物の総重量を計ると、22Kgであった。買い物の総額は約75ドル。
 これに前日、Super(Woolworth)で買った牛肉、鶏肉、生鮭の切り身、ソーセージ(One pack)ミルクなどが今週のEnergyの素となる。
 昼食は炊き立てのご飯と刺身である。身が締まっておいしかったことは言うまでもない
4月22日記

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1月26日 猛暑

 今日はAustralian Day。家や車に国旗を掲げているのが目に入る。それに晴天で、とても暑い。Perthの気象台の発表では最高温度41.2度C (午後5時16分)。
 今朝、Walkingしなかったので、陽も傾いてきた5時20分頃、家を出る。道路は熱気でとても暑い。フライパンの底にいる感じ。下からの熱である。歩いている人はいない。いや、Joggingをしている人に出会ったのである。オーストラリア版“艱難汝を珠にする”である。
 振り返ってカメラのシャッターを押す。アット言う間に遠ざかって、小さく写っている。(CanonのIXYは速写性に優れているものの)

 Mullaloo Parkの駐車場に入りきれない車がそこここに止めてある。広い公園の木陰に陣取ってPartyである。

 The Hottest Couple in Mullaloo beach

 波打ち際は水浴びの人で賑わっている。Mullaloo Surf Safe Clubの人が2、3人水の中の人を見守っている。太陽の反射光がまぶしい海であった。

 暑いWalkingであった。この暑さ明日も続くようである。
2007年1月26日記

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1月17日 営業時間

 The West Australian紙(January 10 2007)の第一面のHead LineはRipper’s trading hour plan in tattersであった。首相代行のEric Ripper氏が内需拡大策として進めてきた小売商の営業時間を延長する案が打ち砕かれたのである。そして、当日のAlstonの漫画は従業員の反対を描いている。

 The Sunday Times(January 7 2007)はHow we compareの見出しで、Sunday shoppingが他の州の都市(Sydney, Melbourne, Canberra, Adelaide, Darwin, Hobart)ではYesであるのに対して、PerthだけがNo (Closed except tourism and holiday precincts)であることを報じた。
 私たちが住んでいる近くのWhitford Shopping Centreの広い駐車場がいつも満員であり、Parkingに苦労する。10年前は苦労せずに駐車できたのに、ここ2, 3年、時間帯を意識して買い物に行くようになった。それにしても、WA州は労働党の強い地盤である。
 1月17日記

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1月8日 1月2日は私の誕生日

 私たちのAustralian daughter、Lyndieはかならず誕生日に、”誕生日おめでとう“と、メールを送ってくる。1月2日生まれの私の誕生日は、お正月のお祝いごとに消されてしまい、あらためて誕生日のお祝いパーティを開いてもらったことが無い。いや、それどころか、たいていの年は、誕生日は忘れられてしまって、正月が明けてから、ああそうだった で終っていた。
 ただ一度、実家に年賀に行ったとき、母がおめでとうといって祝い金を用意してくれていた。60歳の還暦を迎えた年であった。
 こちらでは誕生日は皆で祝福する文化がある。ラインダンスのクラスで、今日はだれそれの誕生日といって、Happy Birthdayの音楽とともに祝福するのである。
 年末にLyndieがメールを送ってきた。Shigeの誕生日に我が家でDinnerを一緒にしないか、のお誘いである。ありがとう、と返事をして、康子はチラシ寿司を作って持ってゆくことにした。ケーキとろうそくも買っていくといったら、次女のSophieが焼くからというのでお任せした。
 食事が済んで、Sophieがローソクに火をつけたケーキを運んできた。Sophieの手作りのケーキに綺麗なローソクが立ち並んでいる。

 これは吹き終わった後のケーキの姿である。75本目に点火するころ、最初に点火したローソクは燃えつきかけていたようである。

 私は願い事を心で唱え、ケーキにナイフを入れた。Lyndieの祖母の時代からのレシピだという、スポンジにレモン風味のアイシングでトッピングしただけのシンプルなケーキは食後のデザートに丁度良く、みんなで美味しく頂いた。
 Sophieがケーキにローソクを立てるとき、姉のKatieに話しかけられたので、ローソクの数が私の年齢と一致するかどうか確信できなかったらしい。それで、吹き終わった後のローソクの数を勘定して、75本あったことを確認してほっとしたと、後日聞いた。さすが、Sophieの性格が出ていると思った。
 Sophieはいよいよ大学生である。Scienceのほうに進むと予想していたが、Sophieは私にNeuroscienceを勉強したいと言った。
 暮れの27日にTEE (Tertiary Entrance Examination)(大学の進学コースが決まる西オーストラリア州一斉の試験が11月に行われる)の成績発表があったが、Sophieは91ポイントの高得点であった。UWAの医学部にも進学可能な成績であるが、Sophieは自分の勉強したい道を選んだのである。
 私たちがSophieに始めてあったのが1999年の6月、Perthで開かれたラインダンスのコンペであった。コンペを見に行った私たちに、‘ニホンジンデスカ?’と話しかけてきたのがLyndieであった。小学校で日本語の先生をしているとのこと。その時、8歳のSophieがソロに出場すると説明してくれた。
 ぶかぶかの白いブーツとカントリーハットでネイビーブルーのドレスの彼女は可愛く、とても上手に踊った。その姿は今もまぶたに焼き付いている。
 その後、家の近くのキリスト教関連の私立学校に通っていたが、学校の演劇祭や音楽祭でも活躍していた。彼女の舞台での演技やピッコロの独奏は今も私の頭の中にとどまっている。
 そのSophieが、今は私の背丈をはるかに越え、車も自分で運転している。私たちのPerth滞在も、この1月でもう10年になる訳だ。

 1月8日記

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1月5日 あけましておめでとうございます。

 あけましておめでとうございます。
 本年もよき年でありますように、祈念いたしております


 2007年1月5日
  植松 滋幸


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−カウント開始2007年1月18日−