6月 8日 タスマニアの金鉱山落盤事故
はじめに
これはLong Storyである。初めはWA州の鉱山について書く予定であった。ところがTasmaniaのBeaconsfieldの金鉱山で働いていた二人の作業者が落盤によって地下1Km付近で閉じ込められてしまった。この二人の救出には救助の専門家が大勢参加した。やっと、2週間たって、二人の作業者は地上に元気な姿を現した。これはタスマニアの金鉱山落盤事故の経過を要約したものである。
タスマニア、Beaconsfieldの位置
彼らは幸運であった。それにたくましい肉体と精神の持ち主とであったことが、奇跡の脱出に成功した。現在、このThe Great Escapeの映画化が企画されているようである。
オーストラリアにはいろいろな規模の金鉱山がある
友人のMalがWA州にある大規模な金原石採掘鉱山の様子をデジカメの映像で説明してくれた。4月23日(日曜日)のことである。MalはOver SizeトラックやLong Trainの長距離運転手である。Perthの北、約2000Kmの鉱山地帯、あるいはPerthの東、約1000Kmの鉱山に採鉱関連の大型機材を運搬している。
地下、1Kmぐらいの金鉱石の採掘場に2連結のダンプ・カーが螺旋形に掘削されたトンネルを降る。金鉱石の採掘現場では、特殊なシャベル・カーがトラックに鉱石をダンプするのである。トラックの積載量は約100トンである。興味深かったのは、地下道路である。素堀である。Perthの砂地に建っている家に住んでいる私たちには、この映像は驚きだった。道路勾配を尋ねると、8%とのこと。住宅地では、急な坂道である。
地上に出たトラックは鉱石をダンプする。鉱石は選鉱処理プロセスに運ばれてゆくが、鉱山の規模、関連施設の大きさに驚かされた。
現在、金に限らず金属類の価格が急騰し、鉱山関係の景気が良い。オーストラリアは鉱山関係の産業規模が大きく、鉱山で仕事をしている人が多い。以前、TAFEでお世話になった英語の先生、Rondaのご主人は鉱山会社、PHP(オーストラリアの大企業)のManagerであったし、前に住んでいたCarradale Glenの通りに、遠くはなれた鉱山の現場で働いていた人がいた。また、Mandurahに住んでいるライン・ダンスの友人の子息も近場の金鉱山で仕事をしていた。
Beaconsfieldにある金鉱山
4月25日(火曜日)ANZAC (Australian and New Zealand Army Corps) dayで休日だった。TVはTasmaniaに小規模の地震があり、金鉱山の落盤で作業者が地下に閉じこめられたことを報じた。その鉱山はBeaconsfieldと言う小さな町にある。不幸なことに、一人の遺体が発見された。その後、6日目に2人の作業者、Todd(34歳)とBrant(37歳)の生存が確認された。
Beaconsfieldの金鉱山は小規模な鉱山である。金価格の国際相場の高騰で2年前に再開されたそうである。M2.1の地震によって落盤が起きたとき、14人の作業者が地下で働いていた。写真は鉱山の全景、中央の塔に取り付けてある垂直のConveyerのBucketで地下1Kmで採取した鉱石が地上に引き上げられる。
The West Australian紙は5月1日(月曜日)第一面にWR’RE ALIVと、大きな活字で地下に閉じ込められていた作業者の家族の喜びを報じた。そして、Miracle Rescueとして地下の現場の概念図が示されていた。
地下現場の様子(スケッチ図)
救助のために、NSW州から精鋭のRescue専門家たちがBeaconsfieldに来た。まづ、Cageに閉じ込められている2人に通じる直径10cmの塩化ビニールのパイプが通じたので、食料や生活に必要な品、それにデジカメやiPodが二人に届けられた。
救助のために、NSW州から精鋭のRescue専門家たちがBeaconsfieldに来た。まづ、Cageに閉じ込められている2人に通じる直径10cmの塩化ビニールのパイプが通じたので、食料や生活に必要な品、それにデジカメやiPodが二人に届けられた。
5月1日(月曜日)の新聞報道
地下に閉じ込められている二人を救助するための岩盤掘削作業
5月2日(火曜日)のThe West紙はRescue Planを報じている。岩盤を掘削することによる二次災害の無いように、慎重な計画であった。
しかし、掘削は難航した。岩が硬くて(コンクリートの6倍と表現された)Chisel(鏨)を使う古典的な掘削方法では進捗が遅い。爆薬を使うと掘削速度は速いが、その振動によって2人が閉じ込められているCageに落盤の危険がある。一刻も早く救助するために、いろいろな掘削方法が試みられたようである。
地下の岩石が紹介された
掘削には爆薬が使えないので、遅々たる進捗であった。
地下925mの狭いCageに閉じ込められてから14日目の5月9日(火曜日)早朝、ToddとBrantは地上に現れた。歓声があがった。Channel Sevenの人気キャスター、MelとDavidの報道を私たちは見ていた。
地上に現れたToddとBrant
地下925mで閉じ込められていた作業者が地上に
14日ぶりに、地上に出た二人は元気そうであった。すぐさま待機していたAmbulance2台が彼らをLauncestonの病院に運ばれた。地上に出る前、彼らはParamedics(救急医療士)の診断を地下で受けていた。前から、彼らは地上には担架の世話にならずに、歩いて上がると言っていた。彼らはCageの中で、窮屈な姿勢で2週間過ごしたが、脚のMassageを続けたようである。
CH 9のInterview
5月21日(日曜日)TV局、Channel Nineは閉じ込められていた二人の作業者、ToddとBrantとのInterviewを約2時間放映した。独占権としてTV局は二人、それぞれに100万ドル支払っている。この放映は見なかったが、Interviewの要約が翌日の新聞、The West Australianに活字となったので、彼らが地下でどのように過ごし、どんな思いでいたかを知ることが出来た。
Interview を受ける二人。Todd(左)は家族宛の遺書を腕に書いたと話した。
ToddとBrant、地下での生活
5月27日(土曜日)Ch 9局はInterviewを再放映した。これを見て、彼らの肉体的、精神的なたくましさを知った。私たちが以前からの関心事であった「地下で閉じ込められた狭い空間での排泄」についてであった。Ch 9のNewscaster Ms Tracy Grimshawがこの点について尋ねた。Brantは“Just imagine”とこの質問をかわした。Toddは小さなPanを作ったそうである。二人は14日間の地下生活?で10Kg痩せたそうである。とにかく、地下に閉じ込められたサイドからの情報は大変興味あるものであった。
岩石で埋もれた二人は岩をCageの隙間から外に出して、空間を作った。しかし狭く、このような状態で2週か過ごしたのであった。
死に際にCountry Musicを歌う
私たちは地下の二人が差し迫った人生最後の瞬間まで、歌い続ける歌としてアメリカのCountry Singer、Kenny Rogersの“The Gambler”を選んだことに興味を持った。
(参照Perth 便り;2006年5月30日記)
オーストラリア政府が祝福
5月29日(月曜日)夜のABC TV局はオーストラリア政府がCanberraに、ToddとBrant、二人の救助にあたった人々、Community Workerなど約800人をCanberraに招待したことを報じた。TV画面には、この公式なRescue PartyにToddとBrantはシックな背広姿で出席していた。このPartyで、Howard首相はBeaconsfieldのCommunity Fundとして8万ドル支出することを述べた。
アメリカのTV局に出演
6月1日(木曜日)朝のCh 7局はToddとBrantの二人がアメリカのTV局に出演するために出発したと報じた。
6月3日(土曜日)ABC TV局はアメリカのTV局、ABC(American Broadcast Company)のGood Morning Americaに、ToddとBrantの二人が出たことを報じた。この画面では、やや緊張した二人がNewscasterのinterviewに応じていた。二人はそろいの紺色のニットのシャツを着ていた。
友人、Malの補足
6月5日(月曜日)、Foundation Dayで休日であった。KarenとMalがAfternoon Teaに誘ってくれた。彼らの新築の家は我が家から車で小一時間、50Kmほど離れている。Karenの母親、そしてライン・ダンス仲間のJoeとSue夫妻が一緒であった。
MalにBeaconsfieldの落盤事故の報道でわからなかったことを尋ねた。事故が起こった時、なぜToddとBrantがCageの中に入っていたか、の点である。Malは次のように説明してくれた。
二人の作業者は新しく掘削された坑道の天井に金属製のMeshを取り付ける準備をしていた。その金網は電線、通信線などを通すパイプ類を取り付けるためのものである。金網を敷設するために、まず長さ数十センチのアンカーを天井に打ち込まなくてはならない。彼らは天井近くに置かれたCageに入って、その作業をしていたのである。
落盤が起きたとき、彼らはCageに入っていたことが幸運を呼んだ。不幸にも亡くなった作業者はショベルカーに乗っていて作業をしていたのであった。
鉱山の救助隊の活動についてMalは説明してくれた。鉱山関係の救助隊は常に救助にかかわる技術を磨いており、3ヶ月に一度、Competitionがあるそうである。
オーストラリアではいろいろな対象、種類のCompetitionがある。Competitionによって、その人(あるいはグループ)の技術は上がるのである。
2006年6月8日記
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6月 6日 誤解
事実を正確に伝えるのは難しい。また、情報はしばしば誤って伝えられる。
6月2日(金曜日)朝5時半から25分間,いつものようにSBS TV局が前日、夜のNHKニュースを放映した。日本語がわかる人を対象にしているので、そっくりそのままである。原稿はNHKのスタッフが書いたと思われるが、阿部渉アナウンサーがオーストラリアのスポーツ事情について間違った報道をした。FIFA World Cup Germany 2006に関連したことである。
32年ぶりに出場し、日本と対戦するオーストラリアについて“ラグビーの盛んな国ですが、サッカー人気もうなぎのぼりです。-----”と、アナウンサーは言った。私は「そうか、日本から見れば、オーストラリアのスポーツの中で、ラグビーが突出して伝わっている」と思った。
日本とオーストラリアとはいろいろな分野で交流が盛んであるにもかかわらず、このような誤解を生んでしまう。情報伝達で、何故このようなフィルターがかかるんだろう。うーん(しばし思案)。
10年前にPerthに来て、最初にTV番組で見たのはAussie Football(オージィ・フットボール)の試合である。そのころは放映されているNewsやDramaを見てもほとんど聞き取れなかったので、スポーツ番組を見ることが多かった。金曜日の夜、そして土曜日に放映されるAussie Football League(AFL)の試合を楽しんだ。最初のころ、印象に残ったのは、Goal Jadgeがボールのゴール・インの確認をしてから、やおら両手の腕を上げ、そしてすばやく振り下げる(人差し指を伸ばして)Gestureであった。
AFLに参加しているチームはFranchise制で、16のチームがオーストラリアの主要な都市に本拠を置いている。PerthにはWest Coast Eaglesが、FremantleにはDockersがある。これらの試合は毎週末にTV局、Channel Nineが全国に放映している。視聴率は高い。
AFLがトップレベルであり、次のレベルとして各州のリーグがある。ここPerthではWAFL(Western Australia Football League )があり、多くの地元チームが加わっている。ABC(Australian Broadcasting Corporation)が毎土曜日1試合放映している。
PerthでのAFLの試合はSubiaco Ovalと呼ばれるスタジアムで行われる。現在43,000人の観客を収容できるが、6-7万人に拡張する案が浮上している。
Subiaco Oval
Perthには規模の小さいAussie Footballのスタジアムがいくつかある。それに、地方のちょっとした町にもOvalと呼ばれる競技場がある。Aussie FootballはOval(楕円形)のグランドで競技をするからである。
Aussie Footballのルールは簡単である。とにかく、Rugbyのボールに似た形のボールを足で蹴って、相手側のゴールに入れると6点、(両脇のゴールに入れると1点)獲得できる。Offside無し。ボールが楕円形に書かれた白線から出るとゲームは中断される。ハンドが自由に使えるので、競技の進行はSpeedy。攻守が入れ替わりやすいので面白い。
Brisbane v Collingwood (By Sunday Times June 4 2006)
選手間の小競り合いはしょっちゅうある。殴り合い?も、しばしば?。100Kgを超える大男がボールの奪い合いでぶつかるので、怪我はしょっちゅう。オーストラリアでスポーツ医学が進んでいる原因はこのAussie Footballにあると、私は見ている。
Perthの地図帳の索引にParks、Reserves、Ovals、etcの項がある。小さな活字で7ページ。Perthに、Ovalが幾つあるだろうか。1ページに3箇所。ざっと20ぐらいOvalとよばれる市民のための芝生の運動場がありそうである。
Mosman ParkのOval
6月3日(土曜日)、家から車で40分ぐらいかかるMosman ParkのMemorial Hallに行った。時間があったので、Hallに隣接しているOvalの中を歩いた。Ovalの長軸に当たるゴールとゴールの間は200歩、4本立っているゴールのポールとポールの間隔は10歩であった。
4本の白い柱がゴール。中央の高い柱の間にボールを蹴りこむと6点。両脇のゴールは1点
このOvalで、父親が子供にAussie Footballを教えていた。ボールは足の甲で楕円形のボールの長軸方向を蹴り上げるのである。空中のボールをFair catchすると、その選手のボールは奪えない。キックとキャッチがAussie Football基本である。
Aussie Footballを練習する親子
Perthでは、そこここにある広い芝生の公園で、友達同士、あるいは兄弟でボールをキック、キャッチして楽しむ風景に接することが多い。
Sydny v Hawthon (By Sunday Times May 28 2006)
新聞のスポーツ欄はAussie Footballが主役であり、ゴールキックにかかわった選手の公式データーが詳しく報道される。また、ボールを奪い合う瞬間のすばらしいカラー写真が何枚も紙面を飾っている。このようにAussie Footballをオーストラリアの人々は楽しんでいるのである。
2006年6月6日記
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5月30日 Kenny Rogers の The Gambler
ラインダンスを踊る人にとって、Country musician、Kenny Rogerの歌はなじみ深い。たとえば、Island in the stream、We’ve got tonight などがある。
手元にあったCDの表紙
4月25日(火曜日)Tasmania、Lancestonの北北西40Kmに位置する町、Baeconsfieldsの金鉱山の地下925mの作業現場で起きた落盤事故で二人の作業員が小さなCageに閉じ込められてしまった。小さな地震に誘発されたもので、このほかに1人の作業員が亡くなっている。
地下に閉じ込められたTodd Russell氏とBrant Webb氏は6日間生死不明であった。6日目に生存が確認され、14日目に奇跡的に救出された。この間、オーストラリア中の人は毎日のTV、ラジオ報道や新聞のニュースを見守った。
5月21日(日曜日)TV局Channel Nine(Ch 9)は午後8時半から2時間、The Great Escapeの名前でToddとBrantとのInterviewを報じた。Ch 9は報道の独占権として、この両氏それぞれに100万ドル支払っている。
5月22日(月曜日)Perthで発行されている新聞、The West AustralianはCh 9の放映番組の内容を要約している。その中の一節に、彼らが6日目に爆破音が近づいて来た時、死が差し迫っていることを覚悟し、人生の最後の瞬間を祝福するための歌を選ぶことを決めた。彼らはKenny Rogerの歌“The Gambler”で同意した。彼らが歌っているとき、救助隊の呼びかけを聞いた。”Shut up in there you blokes”(静かにしろ、そこの二人)
Cageに閉じ込められた、岩石に埋もれたToddとBrant(Ch 9 放映、アニメ)
5月27日(土曜日)午後4時からCh 9は“The Great Escape”を再放映した。色々興味ある事実を知ったが、とにかくこの二人は強運の人であることに違いない。番組のエンディングは二人がThe Gamblerを歌っているシーンであった。すなわち、
You got to know when to hold em, know when to hold em,
Know when to walk away and know when to run.
You never count your money when you’re sittin’ at the table.
There’ll be enough for countin’ when the dealin’s done..
そして、ToddとBrantが片手を挙げてお互いに掌を合わせる、いわゆる「High five」のGesture“やったで”で、このDocumentary は終わった。
このInterviewのホスト役はCh 9のテレビ・キャスター、No.1のMs Tracy Grimshawであった。二人が歌っているのを、左手の人差し指を口に当てながら、暖かく見守っている彼女の様子が印象的であった。
2006年5月30日記
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4月21日 Simply Red
2月半ばに発注したSimply RedのCDアルバム、Greatest Hitsがやっと我が家に届いた。早速、Track 7、If you don’t know me by nowを聴いた。2007年のUCWDCのIntermediateの課題ダンスの一つである。
この音楽に対して、オランダのSuperstar、RaymondがRise & Fallのダンスとして振り付けたのである。ここ2,3年、Rise & Fallのダンスに使われた音楽はCountry Musicianのものであった。なぜRaymondがSimply Redのちょっと奇抜とも言えるWaltz曲を採用したのか、興味がある。今度、彼に出会ったときに尋ねようと思う。
私たちはPopular Musicに疎いので、今回UCWDCのダンスのStep sheetを見てSimply Redの名前を初めて知った。先週、Easter休みの日に、Perthの友人宅で食事会があった。同席した英国、Wales出身のShitt氏が長年、PerthでTen Danceを踊っていることを知ったので、Simply Redのことを尋ねた。彼曰く、1990年台に活躍したScotland出身の歌手で、数年前にPerthにも来たとのこと。
偶然は続くもの? 先週、Whitford図書館のDVDコーナーでSimply RedのDVDを見つけた。早速借用した。Lyricも画面に表示出来るようであるが、最新のDVD Recorderでは歌っている歌詞が出てこない。
ところが、我が家にはPerthに移った頃に買ったDVD Playerが眠っていた。ほぼ10年前のオランダ、P社の製品で、カラオケ機能がある。早速箱から引き出して、Simply RedのLondon公演のDVDをかけた。歌っている曲のLyricは出てくるし、CDでははっきり聞き取れなかった伴奏者のVocalとSimply RedのVocalがはっきり区別して聞き取れる。これは音楽DVDの強みである。
DVD PlayerはDVDディスクの規格に対応し、映像、音楽を再生するように作られているので、陳腐化することはない。これに対してパソコンは日々進化しているので、何年か過ぎると使い物にならなくなる。パソコンも用途限定、メモリー内のデーターは一定時間が経つと自動的に消えてゆくシステムを採用すれば、次々と買い換えなくても良いかもしれない。
2006年4月21日記
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4月9日 St.Ives Northshoreの住人、Jack
我が家はGarden Apartmentの2階にある。階下にはJackとJean夫妻が住んでいる。Jeanは戦争花嫁で、Jackが第二次世界大戦でScotlandに従軍していた時に知り合ったそうである。
私たちがこのRetirement Villageに引っ越すために出入りしていたころ、Jackは私たちを見つけて駆け寄ってきて、大きな手で大歓迎の握手をしてくれた。
入居してまだ日も浅い頃Jeanが私たちに声をかけてくれた。“Jack は毎朝6時になるとRadioを大きくかける、耳が遠いので大声で話をする。迷惑をかけていないか?”
“いいえ、ちっとも、5時半にはSBS TVで、日本のNews番組を見ているから”と答えた。
Jackに話すときは、耳元で大きな声で言わなくてはならないことがわかった。それにしてもJackの話し声が下の家から聞こえることは無い。今にして思えば、“Jackの大声云々”は新入りの私たちとのCommunicationをはかるための手だてではなかったか、と思う。
その後も、JackとJeanはなにかと細やかな気配りをしてくれる大先輩で有り難く思っている。
Jackは今年4月7日で90歳になった。私たちは、色紙とチョコレートの詰め合わせをPresentした。色紙にはYasukoが 卒寿 と隷書体で書いた。
4月9日(日)には4人の子供の家族、孫、ひ孫をはじめ、兄弟など70人でお祝いの祝宴を開くそうである。
Jackは10年近く、毎朝6時半から欠かすことなくジムやプールで早朝のExerciseをしている。ある時、Jackは私に言った。“君は若い。子供のようなものだ”。彼流の励ましのセリフである。
70歳を過ぎると体力の衰えを感じざるを得ない、身体を動かさないと固まってさび付きそうな気がする。元気な90歳の大先輩を見習って、健康に過ごしたい。
昨年12月16日(金)Dinner Roomで、2005年のChristmas Dinner があった。このときJeanとJack夫妻と同じテーブルであった。写真はWheelで楽しんでいる時のスナップショットである。テーブル6で、右寄りに写っているのがJackである。
4月9日記
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4月5日 サンセット
秋に入ると、インド洋から大きな移動性高気圧がやってくる。青空、しかし海岸は風が強い。
4月4日、夕方がそうであった。
風紋
入り日 17:46:42 (時刻)
17:47:52
17:48:50
17:49:38
17:50:30
17:51:26
17:52:56
4月5日記
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3月31日 散歩道での俳句
虹色の 鳥声高に 呼び交わし やすこ
花の蜜 友を誘う ロリキート(Lorikeet) しげ
朝食の ガラー(Galah)に通路を 譲りけり やすこ
日の出前 ガラー(Galah)一列に せいぞろい しげ
朝顔の 蔓てっぺんで 折り返し しげ
エコバッグ、海水浴でも 活躍し やすこ
2006年3月31日記
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3月3日 海水浴
3月3日午前6時過ぎのMullalooビーチに打ち寄せる波は大きかった。今は大潮、それに潮が満ちてきた時間帯であった。こんなときは海に入る人はほとんどいない。
しかし、せっかく水着を持って行ったので、海に入った。大きな波に逆らうと、身体は波に巻かれて、波打ち際にふっ飛ばされる。インド洋の海流のエネルギーを直接肌に感じる思いである。慣れてくると、波に乗って、身体を運んでもらう。この方が安全である。
波に乗って身体をサーフィン
ほんの少しだけ沖に出ると波は低い。背が立たない深さであるので、押し寄せる潮の速度は低い。泳ぎには全く差し支えない。
波が立つ沖合は静かである
私たちにとって、Perthに住む大きな価値はビーチの散歩と海水浴である。何キロも延々と続く白い砂浜、青いインド洋に接すると、いつも幸せを感じる。
2006年3月3日記
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2月28日 ウミウシ
WhitfordやMullalooの海岸を散歩していると、時たま波打ち際の砂の上に横たわっているウミウシを見かける。軟体生物で、二つの小さい突起がある。牛の姿に似ているので、ウミウシという俗名がついたらしい。
この生物は神経系が単純で、神経に与えた刺激の伝搬状態を調べやすいので、バイオ・コンピューターを研究しているものにとっては都合のよい実験舞台であった。二昔(20年)前のことである。
2006年2月28日朝、Mullalooビーチで撮影。
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−カウント開始2006年6月1日−