ナッシュビル紀行



 このページは植松夫妻が2005年1月アメリカのナッシュビルで開催された”Worlds 2005”のCompetitionに参加された時の記録です!
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目次
2005年 2月 8日 NASHVILLE紀行(1)
2005年 2月 9日 NASHVILLE紀行(2)
2005年 2月 9日 NASHVILLE紀行(3)
2005年 2月10日 NASHVILLE紀行(4)
2005年 2月12日 NASHVILLE紀行(5)
2005年 2月13日 NASHVILLE紀行(6)
2005年 2月15日 NASHVILLE紀行(7)
2005年 2月21日 NASHVILLE紀行(8)
2005年 2月15日 NASHVILLE紀行(9)
2005年 2月21日 NASHVILLE紀行(10)
2005年 2月28日 NASHVILLE紀行(11)
2005年 3月 2日 NASHVILLE紀行(12)
2005年 3月 2日 NASHVILLE紀行(13)
2005年 3月 2日 NASHVILLE紀行(14)
2005年 3月 2日 NASHVILLE紀行(15)
植松夫妻のパース便り1へ (2004年版)
植松夫妻のパース便り2へ (2005年版)
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2005年2月8日 NASHVILLE紀行(1)

 2005年2月8日記
 その1
 1967年に初めてアメリカ旅行を体験して以来、世界の各国を訪れたが、今回ほど心せわしい海外旅行をしたのは始めてであった。
 2000年、Perthでラインダンスに初めてお目にかかり、そして、それにとりつかれてから、NashvilleがCountry Musicの本場であることを知り、いつの日か一度訪問したいものと思っていた。
 昨年8月、マレーシアのKuala Lumpurで行なわれた第2回Asian Pacific Country Dance Championshipsに出場し、2005年のWorld Country Dance Championshipsの出場資格を得ると、Nashvilleに行く気持ちがわいてきた。
 “Worlds 2005”のCompetitionに参加することを決め、飛行機の切符の手配を始めたのが昨年10月であった。いつも航空券の購入を依頼しているPerthのTravel Agentに、PerthからNashville、そしてオーストラリアに戻り、Tamworthを経てPerthに戻る航空券の手配をお願いした。
 なかなか思うような接続の切符が取れず、12月に入ってからやっと航空券が買えた。購入に手間取ったのは、アメリカの飛行場における航空機接続時間であった。Agentはアメリカ国内では2時間あれば接続は充分と言ってきたが、私は最低3時間の余裕を求めた。
 往路はPerth−Melbourne、Melbourne ?Los Angels、Los Angels−Chicago ,Chicago ? Nashvilleである。1月7日(金)深夜にPerthを発ち、Nashvilleには1月8日(土)夕方に着く予定であった。復路は1月15日(土)の朝Nashvilleを発ち、Chicago、Los Angelsを経由してMelbourneに。MelbourneからSydneyに行きTamworth行きの飛行機に乗り、1月17日(月)の夕方Tamworthに着く予定である。
 Tamworthではすでに始まっているAustralian Line Dance ChampionshipsのDuo sectionの競技(1月18日(火)以降)に間に合うことが旅行日程の必須の条件であった。
 切符を購入する以前からアメリカ国内のSecurity Checkの厳しさは耳にしていた。大きな飛行場ではターミナルの移動にも時間がかかる。Los AngelsとChicago空港の発着飛行機のターミナルを調べ、スムースに空港内を移動できること。また、荷物検査に時間がかからないように、所持品の中身は透明のビニールで包装した。そして誤解が生じ易い物品は持ってゆかないことにした。
 旅行にはトラブルはつきものである。
 1月9日(土)Melbourneから正午初のLos Angels行きのQF便に乗ったが、なかなか離陸しない。2時間座席に座ったが、エンジン音のみで、飛行機は動かない。機内放送でControl unitの一つがおかしいので点検している、と。
 結局、ひとまず降機することになった。Gateを出て、空港内のQantas Clubで軽食を取り、待機することになった。午後5時に出発するとアナウンスがあり再び乗機した。出発5時間の遅れはこの先の飛行機のスケジュール変更は当然のことと覚悟した。
 Melbourne Airport内のQantas Clubで日付変更線を越え、再び1月8日(土)昼前にLos Angels空港に着いた。5年ぶりのLos空港であった。数多くの入国審査の窓口はいずれも長い列、待つこと40分であった。両人差し指の指紋、顔写真を撮影されCustomerにNashvilleのCompeに行く旨説明した。飛行機に積んだLuggageを受け取り、係員に遅れたQF便の接続処理の窓口を聞いた。そして長蛇の列に並んだ。列はなかなか進まない。
 並ぶこと4時間あまり、やっとQFのDeskに着いた。Deskは二つ。これでは全員の処理に1日かかる。並んだ列は途中から短くなっていった。簡単な接続はあらかじめQFが変更していたようであった。
 始めてアメリカに行ったときのことを思い出した。New York州の小さな空港からNew YorkのLa Guardia Airportに戻る際、New Yorkが大雨で着陸不能。そのために飛行機の離陸がしばらく遅れると掲示があった。遅れの時間はわからない。お天気次第である。飛行機の乗客は適宜、予定の飛行機を変更したようであったが、当時の私にはそのような器用なことが出来なかった。そして、空港内の喫茶店で一人、Coffeeを飲んで予定の便の出発を待った。
 Qantas航空のデスクのコメントは、Nashvilleに早く着くには、今夜のLos発の夜行便(行き先は忘れたが)に乗り、乗り換えでNashvilleに翌早朝に着く方法がある。さもなければ、今夜Los Angelsに泊まり翌日のNashville行きの便を手配する、とのこと。ここで、Los AngelsとNashvilleとを結ぶ直行便があることを知った。
 私たちは後者を選んだ。Perthを発って以来、飛行機で2泊、それに各空港での待ち時間の合計は約20時間であった。気は張っているが、身体はくたくたであった。
 Qantasは空港近くのRaddison Hotelと契約していた。1月8日は三晩ぶりにBedで寝た。
 翌日早めにLos空港に出かけた。出発までに3時間半の余裕をとった。Los空港は混むからである。空港内にはいろいろな列があった。どの列がわれわれの並ぶべき列かはっきりしない。Qantasが発行したAmerican Airlineの航空券は予約切符であった。正式の航空券を得るためにAAのカウンターに並ぶことが必要であった。しかし、この列がわからなかった。
 次は国内線のGateに入るための列に並ぶことである。これは見当もつかないほど長い列である。1階のホールから2階の通路までぎっしりと人が2列で並んでいる。列の後の人はこちらに来いと言われたので、バスに乗り国際線のGateに向かった。
そこで、荷物の検査を受けた。それから国内線のGateに戻り、入国検査は完了した。
 ところが、である。AAのGateでわれわれの切符を見た係員、われわれはsecurity checkを受けていないと言う。冗談じゃない。われわれは国際線のGateで済ませた、といってもSecurity終了の印が無い、と言う。しばらくして、男女各1人の係員が来て手荷物とBody check。Check終了印を押し、乗機OKとなった。このとき、アメリカ国内便と国際便とのSecurityチェックのレベルに違いがあることがわかった。
 Los AngelからNashvilleは3時間の旅である。時差は2時間。初めてのNashvilleを空から眺めてすこし興奮した。予定通りの時間に空港に着いた。そして、Taxiに乗ってCompetitionの会場であるOpryland Hotelに向かった。(続く..)


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2月9日 NASHVILLE紀行(2)

 2005年2月9日記
 その2
 Worlds 2005のCompetition会場であるOpryland Hotelに着いたのは1月9日(日)午後6時であった。Nashville空港からTaxiで20分足らず。この間のTaxi代は定額で20ドル、それにチップである。
 Opryland Hotelには、昨年10月、電話で宿泊の予約をしていた。Worlds2005参加者のために、安い部屋を用意していた。1月8日夜から15日朝まで7泊、申し込んでいた。Twinの部屋、1泊117ドルである。
 チェックインの際、
係員はOpryland Hotelの地図に私たちが宿泊する部屋番号と、その部屋に行く道筋が印刷された地図をPrinterから取り出し、渡してくれた。
 案内された部屋の窓から外を眺めると、冬枯れの木立が並んでいた。荷物を整理して、早速、Hotel内、特にConvention Hallの様子を見るために部屋を出た。
 そこここに、昨年のX’masの飾り付けが残っていた。
 Convention Centerは広く、Presidential sectionとGovernment sectionの大部屋の壁画を楽しんだ。
 当夜は時差とJet lagの解消にと、早めに寝た。

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2月9日 NASHVILLE紀行(3)

 2005年2月9日記
 その3
 Opryland Hotel 第二日(月)(10th January)
NashvilleとTamworth行き、午前中―Nashville空港とDown Town行き
 早朝からHotel内の案内図を持って歩いた。Hotel内が複雑であるからである。
 朝食前にMongolia地区を歩いた。たくさんの飾り付けがあった。アメリカ流の楽しいDisplayである。でも、しばらくして、作業の人たちがそれらを取り除き始めた。間一髪、見物に間に合ってよかった。
 MongoliaのGroundを歩いて感じたことは、湿気が多く気温は高かった。いつも、Dryな雰囲気にいるわれわれにとって、久しぶりに気持ちがよかった。この地区は、中心に水の流れを作り、散策の道が縦横に、また、上下に張り巡らされていた。
 当日の予定は、まずNashville 空港に行くこと。 それから、NashvilleのDown Townに行き有名なWild Horseで食事することであった。
 Perthを出発する日の午前、
Worlds 2005のweb site http://www.ucwdc.org を見た。Programmeが載っている。これまで、Tentative scheduleに載っていた Team section のSmall Troupeは1月13日(木)となっていたが、正式のProgrammeでは、これが1月15日(土)午後1時から2時20分となっている。これは、深刻な問題であった。 Nashvilleについてからこの対策を思案することにしていた。とにかく、Los Angels 1月15日(土)23:15発の QF94便に間に合う飛行機を探すことにしていた。
 ChicagoのO’Hare空港は広くて、ターミナル間の移動が手間取ると判断した。O’Hare空港には数回行っているが、いつもシカゴ在住の従兄弟が案内してくれていたので、正直言って、私の頭の中にシカゴ空港の概念がまったく無かった。それに、寒波が来ると、飛行機の離着陸に1-2時間遅れが生じる。Los AngelsとNashvilleはほぼ同じ緯度で、
寒波の影響は少ないと判断した。この間の直行便を第一候補とした。
 NashvilleのAmerican AirlineのCounterで、手持ちのAAのNashville−Chicagoと、QantasのChicago- Los Angelsの航空券がAAのNashville- Los AngelsのTicketに変わらないかと、尋ねた。このTicketでは駄目だという。われわれの格安航空券では、当然のことである。結論として、1月15日午後5時発、AAのLos Angel行きを2枚買った。600ドルである。
 HotelとNashville空港の往復はTaxiを利用した。NashvilleのDown Town にはH otelから市内行きの循環バスを利用した。
Hotelから30分足らず、Wild Horseの店の前のBus Terminalで降りた。店に入ろうとしたら、表に立っている人が、今日は貸し切りで、一般客は利用できないとのことであった。毎週、月曜日は貸し切り日であるとのこと。Opryland HotelのConciergeはこのことを知らなかったのである。やむをえない。Nashvilleの町並みをすこし歩き、Country Goodsの店でShoppingし、次のHotel行きバスで戻った。

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2月10日 NASHVILLE紀行(4)

 2005年2月10日記
 その4
 12時からRegistration deskがオープンした。登録を済ませると、Staffが手首に耐水性の紙テープを巻きつけた。競技のときに、このテープを切ることが出来る、とのことであった。それから、われわれがPerthを出発する日に、Worlds2005のCompetition Directorに出したe-mailのコピーを出した。それには、われわれのTeamの出場日、時間についての配慮をお願いした文であった。
Convention Center内の各会場は明日からのダンス競技やWorkshopに備え、じゅうたんの床にパネルをひき詰める作業をしていた。また、Convention Centerの入り口のスペースには、Evening Star社のBoots売り場、衣装売り場、キラキラのベルト売り場、ダンス用Goods売り場、CDやビデオ売り場などのBoothが準備されていた。
 この日の朝、LobbyでMalaysiaから来たTrinityと彼女のご主人に会った。彼女はFemale Diamond AdvanceとChoreography ABCに出るためである。ところが、LuggageがNashville空港に着かなかったそうである。飛行機の経路はSingapore、東京、Los Angels、ChicagoそしてNashvilleである。Los Angelsでは荷物を受け取り、Nashville宛に送ったそうである。
このような場合、Bootsと衣装があれば踊れるので、急遽、会場のShopで調達することになる。
 オーストラリアから来たダンサーはわれわれとBen少年の3人である。彼は、2003年夏、EnglandのBlackpoolで開かれたThe World Dance Mastersに出場したが、 オーストラリアのFrisky製の短いBootsを持って行った。ところが、その靴ではDisqualifyと言われ、会場のShopでEvening Star社のBootsを買って競技に参加した。
 Ball Room Danceのような振り付けのCountry Danceを踊るダンサーを見て、誰しもその華麗な衣装とBootsの脚には違和感を生じるだろう。とにかく、Evening Star社の影の力を感じるのである。
 この日の午後は部屋で休養を取ることにした。
したがって、デジカメ写真は昼食を取ったDelta地区の島にあるすし屋と夕食を取ったGarden Conservatory内のRestaurant、Ristorante Volareのみである。彼女、日本で何ヶ月か修業したそうである。日本人にとっては、わさびが多すぎる。理由はお客さんの要求があるので、とのこと。

 電話機にMessageが入っている。HotelのManagerからだった。Convention Centerに便利な部屋に移って欲しいと言う。この部屋からConvention Centerに行くのに不便は無いが、何かがある。明日、移ると返事した。

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2月12日 NASHVILLE紀行(5)

 2005年2月12日記
 その5
 朝8時Bell Boyがやってきた。六階の部屋に案内すると言う。部屋の移動のために朝、6時から荷物を整理した。コンペ衣装にBoots, Hat 防寒衣類、Tamworth用の夏の衣類などなど、一度荷ほどきした荷物の移動は大仕事。
 移った部屋は最上階で、Delta地区のいろいろな店や人々の動きが箱庭のように俯瞰できる。また、Convention Centerの入り口もよく見える。
 部屋のつくり、調度品も前の部屋に比べて高級である。部屋代は聞かなかったが、高そうである。まあ、いいや。Managerが替わってくれと言ったので、やむなく移ったんだ。荷物を運んでもらったけど、チップはやらないよ。
 二、三日後に、部屋移動の理由がわかった。部屋からCascades地区に行くためにConvention Centerと反対方向のElevatorで2階に下りた。すると、2,3人の男性の一人がすこしばかりドスのきいた調子で、“Elevatorで一階に降りてくれ”という。その言い方が高圧的で、頭にきた。私は、“お前は誰だ”“PublicのSecurity なのか、Privateの Securityなのか、どちらなんだ”すると、先方の調子が下がってきた。“PrivateのSecurityだよ”。“どちらの会社か?”と、たたみかけると、“XXX薬品会社”と返事があった。そして、両手を合わせて“Elevatorで下に降りてください”と低姿勢になった。2階の部屋、1区画を借り切って、極秘のMeetingに使っていることがわかった。
 今日から、Worlds2005のダンス競技が始まった。会場はDelta Ballroom AとDelta Ballroom Bの2箇所である。両会場とも、今日はProAmである。Pro、つまりInstructorとAm、生徒が組んで踊る競技である。アメリカではもっとも人気があるらしい。
 Convention Centerに設けられたShopのBoothも賑わっている。Evening StarのBootsを買うことにした。Perthでは通販で買えるが、あくまでカタログでの発注であるので、問題が発生しやすい。私はBenがBlackpoolで買ったものを昨年夏に譲り受けた。彼は、Bootsを買ったものの足が大きくなって窮屈で踊りにくくなっていたからである。私にとって、その靴はほんのすこし遊びがある。Evening Starの店員に、私の靴よりほんのすこし小さめの靴を出してもらった。すこし、窮屈である。しかし、履いてゆくと、靴の皮はすこし伸びる。これを買うことにした。Benが履いていたBootsの底には縫い目が無かった。高級品であった。しかし、私がShopで買った靴の底には縫い目があった。200ドルほど支払った。
 Shopが両脇に並ぶ広いロビーの一角に仮設のFloorが出来た。Line Danceの足慣らし、腕慣らし?のためのFloorである。Newcomer、Novice、Intermediate、Advancedの各課題ダンスの音楽、6曲、“Rise & Fall” “Lilt” “Smooth” “Cha Cha” “Funky” “Novelty”、合計24曲を次から次にかけている。人々は適宜Floorに入って踊るのである。
 Workshop Scheduleによると、今日の午後から4つの会場で始まる。
 われわれはGovernor’s C会場で、1時からJohn RobinsonのLinedance 初、中級対象のダンスで足慣らし。The Way, Dare 2 Luv などをならった。彼は、別名、Mr Showcase。 いくつものWorld Champion を取っている、優れたダンサーであり、Choreographerでもある。2004のKuala LumpurでJudge、Workshopを担当して以来の顔馴染み。Bootsを買ったとき、Evening Starがビデオのオマケをやると言う。いろいろなビデオの中から、私は躊躇なくJohnのLine Dancing Vol 1を選んだ。
 彼のStepはSoftで、優雅。オーストラリアの歯切れの良い足裁きに馴染んできたわれわれにとっては、最初すこし違和感があったが、今はとても美しいと感じる。
 4時からは、Tom Mickersの : Cha Cha Technique。5時からは Bary Ddurand:Turns & Spins “balance control” の教室に参加した。
 UCWDCのWorkshopのいいところは、DanceのTechniqueを親切にやってくれることである。Line DanceのStepを覚えるのは、Step Sheetがあれば、ある程度習得できるが、Techniqueは習わないとわからない。ましてや、4年前にラインダンスなるものを、オーストラリアのBoot scootingのクラスで始め、
以来、ダンスのテクニックは誰にも習っていなかった。私どもにとっては、Shingapore 2003以来、このたぐいのWorkshopがとても楽しみである。
 今日の昼はMagnolia地区にあるRachel’sでBuffeを、夜はDelta地区内のOld Hickory SteakhouseでDinerを取った。Restaurantの雰囲気とか、サービス、それに食事の内容を確かめるために、毎日、行く店を変えた。
 夜は、Delta Lobbyで踊る人。Window Shoppingをする人。Delta内の島を散策する人。様々である。
 夜7時から、Social Open Room が Line Dance, Country Couples, Swing & Hustle 
にわかれて用意され、Bedにいるわれわれに、 深夜まで音楽が響いていた。われわれ老体は旅の疲れを取り、明後日の競技のEnergyを蓄えるのが精一杯。このSocialには、参加する余力は無かった。


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2月13日 NASHVILLE紀行(6)

 2005年2月13日記
 その6
 Opryland Hotel第五日(木)(13th January) Worlds 2005 Day 3 2005年2月13日記
 私がNashvilleに持って行ったディジタル・カメラはシャツの胸ポケットに入る小型のOlympus μ15で、画素数は3ギガ級である。メモリーは256メガを2枚、それに専用のバッテリー2個、充電器1台である。毎日、100-200枚の写真を撮った。その日に撮ったものは640メガのMOディスクにSaveした。MOドライブはOlympusのminiEXW640MOである。MOディスクにはjpeg形式に入るので、MO1枚におおよそ1000写真が入る。
 パソコンを持って行かなかったので、MOドライブとカメラの信号点滅で画像のSaveを間接的に確かめた。ただ、1日に200枚程度の撮影をすると、2枚か3枚の写真の日付が入らなかった。この日付無しの画像はその日作ったFileの頭に連番号で入っていた。それらの画像を見て、適当な順序の位置に、画像を挿入した。バッテリーは毎晩充電し、毎朝Full充電のものをカメラに入れた。
 Worldsでは、コンペ会場のダンスをビデオカメラで撮ることは禁止されているので、ダンサーは自分のダンスの撮影をビデオDVD製作会社に依頼するシステムになっている。費用は1ダンス当たり10ドルであった。翌日、DVD(NTSC)にして渡してくれる。1人のダンサーに1人のカメラマンが付いて撮影している。観客席の中央の高い位置から望遠レンズで撮っているから、DVDに写っているダンスの画像ははっきりしている。
 また、踊っているダンサーのスティル写真は専門のカメラマンがデジカメで撮影している。そして、撮影された画像は、Delta Convention Centerを入ったところのPCで見ることが出来る。そして、注文するシステムになっている。
 また、主会場、Delta Ballroom Aの様子はHotelの各室のTVのGACのChannelで見ることが出来る。このために、ビデオカメラマンが会場に張り付いている。
 Opryland Hotelで3泊もすると、Hotel内の様子がおおよそわかってきた。巨大なドームの壁は6階建ての客室群とConvention roomで構築されている。そして、ドームの中には4つの広い庭園があり、散策の道が作られている。この雰囲気がCompetitionの張り詰めた緊張を適当にやわらげてくれる。
 朝食はCascades Gardenを通ってGarden Conservatoryの2階にあるCafeで取ることにした。ここからのGarden Conservatoryの眺めは素晴らしい。毎朝、ここでオレンジジュース、Sandwich、コーヒーである。
 この日、Day3のダンス競技はProAmである。ラインダンスの部はChoreographyのみであった。Contestantsにとって、この日の主要行事はDelta Ballroomで、7:30pmからのContestant Receptionと8:30pmからのParade of Contestantsであった。
 Receptionは楽しかった。いろいろな国から参加している。オーストラリアからはわれわれとBen少年である。彼は祖母、WendyがデザインしたCostumeを着てきた。われわれはUCWDCの直営店で買った赤色のジャンバーである。背中にはWorldsの図柄が入っている。このようなEventに備えて、国旗やNational ColorでデザインしたCostumeが必要だ、と思った。
 Brazilの一団がやって来た。衣装を見ればわかる。われわれにポルトガル語で“ハロー ブラジル”と言って、カメラに向かって手を振ってくれ、と。ブラジルのTV局のクルーであった。この映像をBrazilで放映すると言う。TV局の人の言うままに、口移しに、カメラに向かって“ハロー・ブラジル”。その内の2人はダンサーであった。Paradeのあとで、その二人がブラジル調の音楽でDuo Danceを披露したが、味わいのあるダンスであった。
 Receptionでは、Wineやアルコール類のスタンドがあり、会場は陽気な気分で包まれた。いよいよ、Paradeになった。オーストラリアはTopである。Benを中心に3人が国旗とWestern Australiaの州旗を持って進んだ。アメリカ以外でもっとも多くの人が参加したのはオランダであった。ラインダンスのレベルの高い国だけのことはある。次は、England、Wales、Scotland など英国勢であった。
 すべての参加国のParadeが済むと、日本チームのデモダンスがあった。日本からは、大橋ユキさん、ただ一人Competitionに参加した。この日、Delta内の通路でばったりユキさんに会ったが、アメリカ国内で練習されていたようである。
 デモダンスの後はアメリカチーム対国際チームのダンス対抗戦である。オランダチームを中心とした国際チームは上手い。Judgeの結果も国際チームの勝利であった。
 11:30pmから明日(木曜日)
出場のContestantsのMeetingがあった。これが予定より1時間ばかり遅れた。すべての行事が済んだのは、午前1時半であった。部屋に戻って寝たのは2時半。明日はいよいよ、Line Danceの競技が始まるのである。この日、Convention CenterにあるKincos(Copy & Facimileセンター)に仙台の元木さんから激励のFaxが届いた。


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2月9日 NASHVILLE紀行(7)

 2005年2月15日記
 その7
 今日からLine Danceの本格的な競技が始まる。
 午前はBallroomA会場で、IntermediateとAdvancedが、B会場でNewcomerとNoviceの男女が並行しておこなわれる。年齢別のIndividual(Rise & Fall、Lilt、Smooth、Cuban、Funky、Novelty)は9:00amから始まる。これに先立って、Intermediateは7:30amから1時間Music Reviewといって本番の音楽がかけられて練習できる時間がA会場でもたれた。
 私が家内に起こされて眼を覚ましたのが、7:30である。前夜、Contestants Meetingが終わって部屋に戻ったのが午前2時であった。あわてて練習会場に駆けつけたのが、8時過ぎ。ほとんどのダンサーは練習を済ませていた。僅か2、3人が踊っている。とにかく、一通り踊ることにした。ところがである、Rise & Fallの音楽がHonkytonk Angelでない。ありゃ、これは何だ、の気持ちであった。つぎにかかったLiltの音楽も練習してきたRight to Remain Silentでない。さらに、次のSmoothもShaniaの曲ではない。
 現在、WAやTamworthのコンペでJudgeをしているJacquieが、以前Worldsに参加したとき、本番の朝、ダンスの音楽が急に変更されたと、言っていたことを思い出した。でも、StartのCall、“4、5、6”あるいは“5、6、7、8”があるので、音楽の変更は気にしないことにした。
 練習が終わってから、本番までに30分ほど時間があった。家内が私の衣装を3着持って、駆けつけてくれた。この衣装はこのダンスに着ること、と書いたメモが、ハンガーに張り付いていた。時間の余裕があったので、
落ち着いてRise & Fallを踊る衣装に替えた。
 家内が踊るAdvancedのMusic Reviewの開始は10:00amであったので、助かった。  私の出番、Male、GoldはIntermediateのTopである。踊る前に、私のCompetitorと話をする機会があった。彼は8歳ほど若く、ダンス経験は7年とのこと。私の経験は正味、丸4年、Competitorは、強敵であった。彼の踊りは、前日、Practice Floorで見かけたことがあるが、Ballroom Dance調の踊り方、やたらアームを動かして踊っていた。
 私はオーストラリア流のスタイルの影響を受けているので、常にアームを動かして踊ることは大変むつかしい。
最初のRise & Fall、つまりWaltzの踊りは常に腕、身体を流れるように動かし、止まる状態を作ってはならないことは承知しているが、私にとってはこれがとても難しい。
 PerthのBallroom Dance Schoolの校長先生は私の手の動きを見て、Traffic Policemanの手振りではなく、水の中でゆっくりと水を押して分けていくように、と指導してくれた。
 これが出来るようになるにはあと何年もかかるだろう。
 次は、Liltである。これは、Polka調のRhythmで踊らねばならない。オーストラリアのラインダンスのクラスやSocialで、この種の音楽がかかっても、ステップに弾みをつけて踊る人は稀である。
Wendy Hughesのクラスでの仲間のRynn (彼女は昨年のTamworthのSolo 40& OverのGold Medalist) はこの音楽がかかると弾んだステップでぴょんぴょんとぶように踊っていたので、参考にして練習したが、足腰のバネがさび付いている老体にとっては無理な相談というもの。本番でかかった音楽は、Music Reviewでかかったものであった。とにもかくにも、脚やアームの動作を歯切れよく、と心がけて踊った。
 次はSmoothである。実際にかかった音楽はShania TwainのShow me the wayでなかったが、むしろテンポのつかみやすい音楽であった。 それにしてもこのSmoothはRise & Fall以上に、Armの使い方や全身のStyleをつけるのが難しく、踊りにくいダンスである。
 Cuban、Funky、Noveltyの音楽は変わらなかった。しかし、これらのダンスについての課題は、Cha Chaの脚運び、つまりラテン独特の踏み出し方、Funky流の身体のこなし方、NoveltyのアームのVarietyであったことに変わりがなかった。
 私はIndividualのIntermediateの競技が終わると、一息いれるまもなく、家内と交替して、急遽カメラマンに変身した。いよいよAdvanced競技である。


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2月9日 NASHVILLE紀行(8)

 2005年2月21日記
 その8
 Individual Advancedダンス競技(その一)
 AdvancedのダンスはGold(60歳以上)の女性、男性、Silver(50歳代)女性、男性、Diamond(40歳代)女性、男性、Crystal(30歳代)女性、男性の順序で始まった。  Advanced Division は一番高いレベルで、Instructor を含むダンス経験の豊かな人がEntryしている。家内、YasukoはInstructorではないが、このAdvancedにEntryした。
 オーストラリア、Perthでラインダンスを始めて丸4年、2003年Singaporeで行なわれた第1回Asian Pacific Line Dance Championships(APD2003)にIntermediate、昨年のKuala Lumpurでの第2回APD2004には、Advancedに挑戦した。
 UCWDCが主催した第1回APDでは、ラインダンスのCategoryは5つ、すなわちRise & Fall、Lilt、Smooth、Cuban、それにFunkyであった。ダンスのレベルはNew Comer、Novice、Intermediate、Advancedであった。このとき、私はNoviceのDivisionに出た。私たちを含めて、出場者のほとんどはこれら5つのダンスを同じようなスタイルで踊っていた。ただ、Malaysiaのダンス学校の校長先生であるJoanneと大橋ユキさんの二人が飛びぬけて高いレベルで。これら5つのダンスを区別して踊った。
 昨年、Kuala Lumpurでの、第2回APDでは、Entryしたダンサーのレベルは確実に上がっていた。ダンスのCategoryにNoveltyが加わった。Singaporeで私の隣で踊ったMalaysiaのTrinityは2段階上のAdvancedに出場した。私は心の中で、2005年に行なわれる第3回APD大会のダンス・レベルはさらに高くなると予想した。
 見る人が見れば、私どものダンス経験の少ないことがわかる。ダンスのテクニックが未熟なのである。しかし、私の場合、いつまで元気に踊れるかどうかわからないので、どうしても目標は高くなる。昨年5月、私はAPD2004ではIntermediateで踊ることに決定したので、家内はAdvancedに加えて、Intermediateのダンスもマスターすることになった。つまり、私のIntermediateのダンスのInstructorになったのである。何故なれば、これまでPerthのInstructorにCompetitionの課題ダンスを見てもらったことがあるが、私の技術的な問題をどのように改善するかについて、コメントした人はいなかったからである。
 UCWDCから発表されるダンスのStep Sheetを見て、脚運びを完全に理解できるInstructorはPerthにはいないそうである。この言葉はBen少年のお祖父さんである。私たちも同感であった。ステップシートにBallroom DanceやBalletの用語が入っているからである。
 幼少からBenのダンスの面倒をみてきた祖父母の提案で、第2回APDに備えて、私たちとの合同の練習会(非公開)を昨年7月Mandurahで行なった。このとき、Benを指導しているBallroomダンスの先生に会った。彼女はAustralian DanceportのChampionだったそうである。われわれも、PerthのBallroom Dance Centreの校長先生に習っていた。つまり、UCWDCのダンスを踊るためにはBallroom ダンスのテクニックが必須なのである。
 昨年11月、NashvillのWorld2005に備えて、BenとAdvancedの合同練習会をわれわれが練習に借りているダンスホールで行なった。このとき、Benのダンスは進歩していた。特に、Cubanの脚捌き、身体の振りが。われわれもすこしは進歩したと思っていたが、Lilt、Funky、Noveltyのアームやボディの表現がいまいちすっきりしなかった。それで、Jazz DanceのInstructorの指導を受けた。
 このJazz Danceの先生は若いが、Tap、Ballet、Ballroom Danceの経験者で、身体のこなし、腕の動き、目線の持って行き方などを指導してもらい、得るところが多かった。お陰で、Lilt、Funky、Noveltyが踊りやすくなった。

 さて、Advanced(Gold、Silver,Diamond)のダンスの撮影写真をご覧ください。


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2月9日 NASHVILLE紀行(9)

 2005年2月21日記
 その9
 Advanced Crystalのダンス競技は見ごたえがあった。Entryは6人。Yukiさん以外はすべてヨーロッパ勢であった。ここでは主に、撮影した映像を紹介したい。

Rise & FallLiltSmooth CubanFunkyNovelty


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2月9日 NASHVILLE紀行(10)

 2005年2月22日記
 その10
 Dance Competitionで、(1)数多くのダンサーが同時に踊る形式、(2)個々のダンサーが独立して踊る形式、それに、(3)この両者の折衷がある。また、(A)Musicが最後まで流れる、つまり、最後まで踊る形式と(B)途中でカットする形式がある。いずれも、一長一短であるが、Worldsでは(3)と(B)を採用している。
 Individual、つまりSolo Danceは提示された(@)1つ、あるいは複数のダンスを必ず踊る形式と(A)複数のダンスから幾つか以上選択する形式がある。Worldsでは、(A)の形式で、Rise & Fallは必ず踊ることになっている。
 アメリカでのWorlds、イギリスでのMuster、でのダンス・スタイルはラインダンスのステップでBallroom Danceの身のこなし、アームの振りで踊る。中にBalletの振りを入れているダンサーもいる。このスタイルの変貌は若いダンサーをラインダンスに取り入れるための方策であるとも言われている。ヨーロッパに若いダンサーが多いのはこの方策が成功したからである。
 この点、オーストラリアは保守的である。TamworthでのCompetitionではアームを使わないときは必ず手は腰に置くことを決められている。さもないと、減点になる。
 私が始めてラインダンスにお目にかかったのは1999年10月であった。大きなShopping Centre内の広場で、黒ハット、黒いブーツ、黒のGパン、それに団体名を印刷した黒のTシャツ姿の30人ばかり(ほとんど女性)がCountry Musicとともに踊る姿に引き込まれた。両手を腰に当て、顔はSmile、綺麗な脚さばき。いったいこれはなんと言うダンスだろうか?このダンサーはプロなのか?このときの出会いがなかったら私たちはラインダンスを知る機会がなかったであろう。いずれにしても、このスタイルは悪くはないが、若い人には受けないのである。
 その後、Australia Line Dance Championships に出場し、そしてSingaporeやKuala LumpurでのAPDに出場するにつれて、ラインダンスについての考え方が変わって来た。一番の大きな問題は手を腰に置いて踊ることであった。このスタイルは踊りにくいのである。特に、回転で。
 音楽はどうであろうか。PerthではAustraliaの若い人からCountry Musicはダサい、と聞くことが多い。ラインダンスのクラスには若い人はほとんどいない。一方、Jazz Danceのクラスは若い女子で賑わっている。Socialに行っても、お年寄り?が多い。そして、皆さんは自分自身の踊りを楽しんでいる。ダンスはSportであるから、これで良いのかも知れないが。
 ラインダンスの盛んなSingaporeで、最近、POP系の音楽を多く使用するようになった。われわれの知人はCountry Musicでないので楽しくない、と言っていた。このような人もいるのである。
 Worldsでは各国のCountry Danceに対する対応の違いを感じた。アメリカではProAmが人気ある。プロとアマの男女が組んで踊るのである。踊るダンスは、Two-Stepの範疇に入るように思った。ダンスは本来、男女のペアで踊るものと言う考えと、ラインダンスのステップが複雑であるので、このような簡単化された踊りになったように思った。
 確かに、ラインダンスの問題点の一つに、音楽とステップの関係がある。良い音楽には多くのChoreographerが振り付けする。また、そのステップ数も64カウントがある。とにかく、何千ものMusicに対応してそれぞれ異なったステップ・シーケンスがあること自体、異常である。そのうちに、Socialで踊られるダンスはすべてStep throughが必要になるかもしれない。
 最近、Perthのあるクラブでは32ステップ以上のダンスは教えないことにしているそうである。ラインダンサーの高齢化に対応しているのである。これとても、最近の振り付けはSyncopatedされているものが多いので、実際のステップ数は結構多い。
 この日、13th January、午後7時から、Delta Ballroom BでSocialがあったが、われわれはこれに参加する体力的な余裕がなかった。国際的なSocialで、主催者がどのようなダンスを選ぶのか、興味があったが-------。
 Worldsではビデオの撮影は出来ない。プロのカメラマンに個人的に依頼することになっている。他方、スティルカメラの撮影は許されている。それで、私は小形のデジカメでダンス・シーンを撮影した。
 ビデオカメラで撮った連続シーンとカメラで撮ったスティル写真とはいずれも一長一短がある。ビデオの場合、ダンサーの動きがよくわかる。しかしその動作が際立つのでこまかい点がわかりにくい。それと、撮影対象の範囲が制約を受ける。
 スチルの場合、ダンスの流れはわからないが、ある瞬間のダンサーの状態を明確に表現している。
 私どもの知人の言であるが、上手なダンサーの踊りはどの時点でも写真になるそうである。つまり、写真としても鑑賞に堪えるそうである。このことを聞いたとき、私は一寸したショックを受けた。なるほど、自分の踊っているビデオを見ているのはアマ・レベルであると。
 事実、Worldsでわれわれが踊っているのを専門のカメラマンが撮影し、会場に備え付けのPCで、そのスティル写真が見られる。確かに、私の身体は踊っていないのである。つまり、写真は冷酷に私の欠点を暴いているのである。上手なダンサーの写真は踊っているのである。これらの写真によって、われわれのダンスはどのように改善するか、がわかる。
 私が撮影したYukiさんの踊っている写真は鑑賞に堪えるものが多い。また、その表情も東洋的で雰囲気ではあるが、立派である。彼女の並々ならぬ努力を感じた。

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2月28日 NASHVILLE紀行(11)

 2005年2月28日記
 その11
 主会場であるDelta Ballroom Aで、RenegadeとShowcaseが行なわれた。 RenegadeのContestantsは午後3時半にDance Musicを聴かされる。そして、30分後に予選が始まる。この間に、提示された音楽にダンスを振付けて、
踊るのである。難しい競技であるが、Contestantsは結構多い。Openには26人が申しこんでいた。この中には11歳以上のBoy、Girlから過去何度かAdvanced Openで優勝した人が含まれている。予選を通過したダンサーは午後4時半から踊るのである。
 われわれはBenがRenagade Open決勝に出るのでフロアーのJudge席の近くで写真を撮った。
 Renagadeが済むと、何曲か音楽が流れた。フロアーは人々でいっぱいである。
 Showcaseは音楽を提示されてから、Competitionで踊るまでに時間的余裕があるので(何ヶ月かの)、振り付けをする時間は充分?ある。男女別、各年齢別に競技するので、これも相当の参加者がある。われわれは主会場のメインスタンドの真ん中、中段に座って、Showcaseの競技を見た。
 近くにビデオ撮影機が数台ある。1台は各客室に流すためのビデオカメラでカメラマンが一日中張り付いている。
 このビデオカメラマンはBallroom A会場のダンス競技を撮影し、
Opryland内に映像を流している。
 下段にある5台のビデオカメラは依頼したダンサーのダンスを撮影する。各カメラに1人づつ撮影者が付いている。1曲10ドルである。
 さらに場内に何人かのビデオカメラマンがビデオカメラを担ぎ、撮影している。また、正面、舞台の左右にリモコン制御のカメラがある。これらで撮られた映像は編集し、DVDとして販売されている。
 ShowcaseのFemale Diamondに昨夏、Kuala Lumpurで踊ったインドネシアのダンサーが踊った。
 BenはMale Teen Showcaseに出た。
 中段右側のShowcaseの写真はデジカメの広角と望遠を比較したものである。(下側2枚)
ズームは3倍である。
 午後8時半からSuper Starのダンス競技がある。大急ぎで、夕食を取ることにした。Deltaの島に1階にFirst Foodの店が幾つかある。Instant Supperは手軽で安い?(Restaurantは一通り行ったが、時間がかかるのと、チップを含めると結構高くつく。
Super Starの競技は素晴らしかった。特にBrianのダンス。

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3月2日 NASHVILLE紀行(12)

その十二 Opryland Hotel第五日(金)(14th January)
Worlds 2005 Day 5 午前 ダンス競技とOpryland Mill行き
2005年3月2日記
 われわれはEarly Birdsである。今朝は、午前7時過ぎにダンス会場に行った。練習のためである。次にGround Levelに行くと、扉がある。朝が早いので、Securityはいない。コンペ参加者は
手首のバンドを示すと入場OK。
 われわれは土曜日に踊るSmall Troupeの足慣らしをするためである。幾つかのWorkshop用のフロアーがあるが、早朝はこれらの場所はすいている。練習のための穴場である。
 朝食はいつものとおり、Garden Conservatoryを眺められる、Coffee Shopでとった。ここからDelta地区に行く道中?が素晴らしい。
 午前中、主会場であるDelta Ballroom Aで、NewcomerとNoviceのMale、FemaleのGold、Silver、
Diamond、Crystalの競技がおこなわれた。
 これらの部門への参加者が多く、またそれぞれ、興味あるスタイルでダンスを踊っていた。ラインダンスを始めてからの年数が少ないので、新鮮な感覚で踊っていたからである。  午前10時ごろからOpryland Hotelの近くに大きなショッピング・センターに歩いて出かけた。Malaysiaから来た3人姉妹のダンサーから歩いてゆけると、聞いていたからである。途中、いろいろなイベント用の建物があり、結構楽しい散歩であった。
このショッピングセンター:Opryland Millでちょっとした買い物をした。帰り道で3人姉妹に出会った。彼女らはライスの昼食をするために行くそうである。Asiaの仲間として、ご飯を食べたい気持ちは共通である。

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3月2日 NASHVILLE紀行(13)

その十三 Opryland Hotel第五日(金)(14th January)
Worlds 2005 Day 5 午後 ダンス競技
2005年3月2日記
 午後1時ごろからJuniorのIntermediateとAdvancedの競技が始まった。JuniorとはYouth(10歳から13歳まで)とTeen(14歳から17歳まで)を含めたものである。しかし、Judgeは別個に評価される。このsectionは見ごたえがある。身体の動きが早く、個性的である。いろいろ教えられるところがある。このsectionのDVDを注文することにした。
 午後5時からFemaleとMaleのIntermediateとAdvancedのOpen(18歳から29歳まで)競技が始まった。確かに、このSectionで踊るダンサーは世界最高のレベルである。
 私たちはYukiさんの踊りに注目した。世界の強豪に対抗して、立派な踊りであった。写真はダンスのカテゴリ別でお見せする。
JuniorRise & FallLilt CubanFunkyNovelty


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3月2日 NASHVILLE紀行(14)

その十四 Opryland Hotel第五日(金)(14th January)
Worlds 2005 Day 5 深夜 Presentation
2005年3月2日記
 深夜、と言っても午前1時である。この時間から前日、木曜日に行われたダンスの成績発表が行なわれた。われわれの成績はすでにわかっていた。Nashvilleに来てから、GoldでAdvancedのダンスを踊る人がいないことがわかった。年齢的に踊るのが難しいからであろうか。私は本来、Platinum(70歳以上)であるが、これまたダンスをする人がいないのか、そのAge SectionがRegistration Formにないので、60歳以上のクラス,Goldに出たわけである。
 われわれは若いときから、山歩きやスキーで人一倍足腰を鍛えていたからか、多少動作は緩やかであるが、課題ダンスを何とかこなし、楽しめることに幸せを感じている。
 Female CrystalのPresentationでYukiさんが4位と発表されたとき、“そんなことあり”と言った気持ちだった。私は1位か2位。控えめに評価しても3位と期待していた。それにしても、Judgeの採点方法はどうなっているのであろうか?
 UCWDCの順位だけが示される判定には物足りなさを感じる。
 たしかにJudgeは数多くのダンサーが参加した各国から、つまり、UK,France、Canada、Swiss、USA、The Netherlandなどの代表的な人たち7,8人がJudge席についている。残念ながら、Japanからはいない。Asiaの国からも。
 Tamworth や 西オーストラリアのコンペでは出場者全員にJudgeのScore Sheetが渡される。たとえば、2005年のTamworthでのDuo sectionのScore Sheetには
Presentation:15 Point
Execution & Technique: 10 Point
Degree of Difficulty: 10 Point
Creativity:15 Point
Unity: 10 Point
Total Score (   ) Point
Overall Impression :10 Point
Comments:
そして、Judgeのサインがある。
 三人のJudgeが判定したTotal Scoreの総計で順位が決まる。
 Judgeは公平に判断していると、思いたい。しかし、ステップの正確さ、ダンスを通じての表現力をいかに評価するかは、Judge自身のダンス歴によるところが大きいと思う。
 今回のWorldには第2回AsianPacificDance Championship,KL2004の参加者が10人も参加した。
 将来、日本を含むアジアのレベルが上がり、WorldsにJudgeを送り出すようになれば、との思いは深い。
 各受賞者は賞品を受け取る。時刻は午前1時30分であった。
 家内はAdvanced Gold 1位であったので、 (1)Trophy (2)Champion Ring (3)Chanpion Jacket (4)Buckle 希望者のみ(100ドル負担)を頂く。
 私は 2位として (1)Trophy (2)Portable CDPlayerを頂く。


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3月2日 NASHVILLE紀行(15)

その十五 Opryland Hotel第六日(土)(15th January)
Worlds 2005 Day 6 午前、午後ダンス競技
2005年3月2日記
 この日、午前中はCouple Dance。午後1時からはTeam Danceである。Teamの前半に、われわれが出るSmall Troupeがある。午後5時のLos Angels行きの飛行機に乗るために午後3時にはHotelをCheck outしなければならない。前日に、HotelのFrontに行き、午後3時のCheck outでOKと了解を取っていた。
 午前中に荷物を整理し、Small TroupeのDuo Danceが済むと直ぐに会場を離れる手はずを整えていた。ところが、Small Troupeの全ダンスを入ったDVDを注文しようとしたが、公式のDVDにはそれが入らないことがわかった。そこで、個人的にDVDを作ってもらうべく折衝していたが、窓口が複雑で、製作依頼が完全に出来ない。それに午後3時までにそのDVDを受け取らねばならない。
 やっさ もっさしていると親切な人に出会った。その人がDVD製作から受け取りまでの手順をやってくださった。何度もDVD依頼の窓口とビデオカメラの現場とを往復して。 お陰で、Oprylandを離れるまでにSmall Troupeの全競技が入ったDVDを受け取ることが出来た。DVD製作の価格は60ドルであった。
 Registrationの際、Team Dance参加者はダンス音楽が入ったCDと音楽の構成、Artist、時間、ダンスの形式を記入して渡した。われわれのダンス形式はすべてNoveltyとした。
 Small Troupe Openのダンスが無事終了した。あとは、ホテルをCheck outし、タクシーでNashville空港に向かうことである。
写真4 Opryland Hotelの大屋根ともお別れ  Nashville空港のSecurity Checkはきびしかった。例えば、デジカメのレンズを開けと言う。カメラがダミーで、爆弾が入っているかもしれないからである。一人の若い女性が、これでは飛行機に乗れないと言って泣き出した。でも、係官は知らぬ顔で決められた作業。これがアメリカの特徴である。われわれは午後5時発Los Angels行きに乗る。後は、Los AngelsでMelbourne行きに乗るだけである。
 私のデジカメにはわれわれのTroupeのダンスはまったくない。撮影を依頼する人がいなかったからである。次のわれわれのTroupeの写真はInternet Siteから取り出したもので、公式カメラマンが撮ったものである。


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−カウント開始2005年2月26日−