軽口雑話16

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目次
第46話 スムメル・ヴィルラ
第47話 中国(1)やっと上海で桜を見ました!
第48話 中国(2)おしりっぺたに凍傷!

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第46話 スムメル・ヴィルラ


 KLにRSコンポーネントという会社があります。日本にも有りますがこの会社はアメリカが本社で、主にエレクトロニクスの部品を手がけ、通販で売っています。
 マレーシアでは手に入りにくい部品が多少高めではありますが、簡単に入手出来るので良く使っています。
 組み込みコンピューター関連の部品はここでしか手に入りません。
 グレンマリーにあるRSの本社で注文し、お金を払って、入荷すると届けてくれます。
 ある時部品を数点注文しました。3日後、たのんでおいた部品が入ったとの電話が入りました。
 「部品を届けるので住所を確認したいのですが。」と言って、部屋番号に続いて、何とか言ったのですが良く聞き取れませんでした。何回か聞き直すうち相手も相当いらいらしてきたようです。途中で
 「Do you speak English ?」と聞かれてしまいました。こちらもちょっとムッとしました。5回目になってやっと聞き取れました。スムメルヴィルラと言っているらしいのです。
 「違います。」と言うと
 「スペルを言って下さい。」
 「S-U-M-M-E-R V-I-L-L-A、サマーヴィラ」と言いました。
 今度は相手が何回も聞き返します。3回ほど繰り返しました。突然相手があっと言って、
 「OK,OKわかりました。部品は今日のうちに届けます。」ガチャン一方的に電話を切られてしまいました。
 あれは何だったんだろう。しばらく考えているうちに、こちらもあっと気が付きました。ローマ字読みにするとSUMMER VILLAはスムメルヴィルラになります。
 電話をかけて来た女の子は、多分マレー人だった様な気がします。
ここでは良くあるのですが、中国人やマレー人のうち英語はしゃべれても読み書きが出来ない人がいます。
 この場合は、英語は話せるけれども、ちゃんと英語の教育を受けていないマレー人の女の子そんな人物像が浮かび上がります。(マレー語は、英字で読み書きをするので英字には接しているけれど英語式には読みません。どちらかというとローマ字式に読みます。)
 ところで部品はその日のうちには届かず2日後に配達されました。このへんはマレーシアのいい加減なところで、こちらも慣れて腹も立たなくなりました。きっと”スムメルヴィルラ”で聞いて歩いて見つからなかったのかもしれません。
 "Can you read English ?" と聞き返してやりたいと思いました。


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第47話 中国(1)やっと上海で桜を見ました!


 某食品メーカーがマレーシアに工場をたてることになり、その部品調達で上海出張に出かけました。上海はここ3年の間に5回行きました。今回は6回目です。
 久しぶりに中国行きの飛行機に乗りました。
 日本行きの飛行機の中とはかなり雰囲気が違います。たぶん中国人(本土の)が多いせいだと思います。話し声が大きく、騒々しいです。また一人でいる中国人は新聞を読んでいますが、読み終わと、その新聞を床に捨てていきます。目的地に着く頃には彼らの周りは捨てた新聞でゴミ捨て場のようになってしまいます。
 見ているだけで、いらいらした気持ちになります。
 同じ中国人でもマレーシアやシンガポールの中国人はマナーもよく、洗練されていますが、本土の人たちはひどいものです。
 飛行機を降りる頃にはどうしてこんなになっちゃうんだろと冷ややかな目で散らかった床と彼らを見ることになります。
 今回は、私の席の周りは本土の中国人たちでしたが、皆、マレーシア旅行の疲れからか眠ってばかりいてとても静かでした。機内食もろくに手を付けないほど疲れているようでした。いつもこうならいいのにと思いました。  
 余談ですが、マレーシアを旅する中国人たちの主な訪問先は、ゲンティン・ハイランドだそうです。中国本土では博打がが禁止なので、マレーシアで心ゆくまで博打を楽しむのだそうです。ゲンティン・ハイランドは24時間営業ですから夜も寝ないで、ぶっ通し博打を楽しんだのでしょう。
 上海空港に降下を始めると一面、霧(スモッグ?)で何も見えませんでした。着陸後、飛行機から出て蛇腹の通路を歩いていると隙間から入り込む外気の冷たさに思わずブルッと身震いしてしまいました。機内のアナウンスによると気温15度ということでしたが、マレーシアから来ると15−17度ぐらいの温度差があります。
 どういう訳か上海へくるときは寒い時ばかりで、今回は一番暖かかったのにやはり寒く感じました。

 この日は上海万博の準備がほぼ整い予行演習に20万人の人を動員させるとのことでした。−ただしまだ会場の2割は未完成だそうで、全部の完成は5月1日の開幕には間に合わないそうです−。
 交通渋滞が予想されていましたので宿は郊外にとって有りました。おかげでスムーズにホテルまでたどり着けました。
 この20万人といういうのは、いかにも中国的な数だと思いました。ただ(無料)の入場だそうです。2万人の間違いか、中国流の数の数え方か、分かりません。

 翌日、仕事で下請けの会社を訪問しました。
 会社の中庭に八重桜が2本植わっていて、2メーターほどの背丈の小さな木に濃いピンク色の花をいっぱいに付けていました。赤みも濃いし、八重桜は葉と花が一緒にでるので心の中のソメイヨシノのイメージとちょっと違いました。
 それでも桜の花を見るのは8年ぶりなのでしばし見とれてしまいました。マレーシアに暮らすようになって、4月になると桜を思う気持ちが募っていましたから、ちょっぴり感傷的な気持ちになりました。

 下請け会社の人たちと昼食を一緒にしました。中国料理は、おいしいのですけれど、どれにも辛みが足りなくて、マレーシア料理を懐かしく思いました。出てくる料理の多さにカロリーオーバーを気にしながらの食事になってしまいました。
 滞在中は毎日、雨交じりの曇り空で、たとえ多少ヘイズでもマレーシアの晴れた空を待ち遠しく思いました。

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第48話 中国(2)おしりっぺたに凍傷!


 2度目の中国行きは上海経由天津でした。天津は、上海から1000KMほどの北のところに有ります。私の仕事は、据え付けた機械をテストし工場の設備とリンクさせることでした。
 最初に上海で得た情報では、この年の天津の寒さはものすごく−17度まで下がっているとのことでした。
 私の30歳のころモスクワで零下25度前後の経験は有りますが、マレーシアに移り住んでからは、寒いところへ行くなど想像もしていませんでした。
 単純計算で、マレーシアから行くと温度差は47度も有ります。
 最初の計画では、3日で済むはずでしたから、着替えも最少限度で多少の寒さなら気合いで我慢出来ると思っていました。

 天津は寒さだけでなくスモッグもすごいものがあって、広い大通りの反対側を歩いている人がぼやけて見えるほどでした。
 食事は旨いものが多いのですが、日本で毒入りの餃子で大騒ぎをしている頃でした。
 天津は餃子の町で至る所に餃子のお店が有ります。お店で出す餃子は中身の具ごとに皿で分けて有ります。中身は、豚、チキン、牛、エビ、かに、などたくさん種類が有ります。一皿に20以上の餃子が乗っています。ですから数人で行って、数皿を取って食べます。人数が多いほどいろいろな具を味わえます。

 2月のはじめで中国正月の終わりの頃でした、2月初旬は日本でも大寒の頃ですから1年中で一番寒いときに当たります。ものすごい寒さで情報通り−17度まで下がりました。中国正月の後で世の中の動きが鈍く、荷物が着かなかったりして3日の予定が10日も釘付けになってしまいました。
 薄手の長袖の着替えも三日分しかなく、おまけにGパンだけで10日間を過ごすことになってしまいました。
 上半身は、持っている下着を何枚も重ね併せて、毎日肌着の部分を交代させて着ていました。
 仕事の現場は、外気が直接入ってくるところなので、毎日凍えるような寒さでした。下半身は、モモ式しきなしのGパン1枚で耐えていましたから夕方になると両足がしびれるほどの寒さというより痛さを感じました。
 天津最後の日に、シャワーを浴びていると、押しりっぺたに何か違和感じました。鏡に映して見ると黒い筋がついていました。よく見ると縦に黒く焼け跡のような割れ目が出来ていて凍傷だとわかりました。右のおしりっぺたに3本、左に2本クラックは入っていました。。
 その後、マレーシアに帰ってしばらくの間、傷跡の痒い日が何日も続きました。
 両おしりっぺたの黒い傷跡は消えるまで1年もかかりました。
 わたしも外地へ来てホームシックにかかった記憶は有りませんが、このときは、寒さとスモッグに辟易し、お尻に凍傷まで抱え込んだので、早くマレーシアに帰りたいと思いました。
 天津ではおみやげは何も有りませんが、本場の天津甘栗だけは安くておいしく、2kgも買って帰りました。  

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−カウント開始2010年4月25日−