東ヨーロッパ・ギリシャの旅

 アテネの国会議事堂の衛兵交代式に行く兵隊の行進、トラディッショナルな兵服が素敵です。足を着地させるときにかちん、かちんとカスタネットを叩くような音をさせます。見た目も派手ですが、足音も魅力的です。

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目次
1 プロローグ
2 ベオグラード
3 マケドニア
4 ソフィア
5 カザンルック
6 カザンルックからギリシャへ
7 アテネ
8 エギナ島
2003年8月29日〜9月9日


1 プロローグ


 旅の大きな目的の一つはブルガリアのシプカで、月5万円で暮らせるとの情報を得て、(テレビの不思議発見を見て)本当に可能かどうか調査すること。
 もう一つは、あまり縁のなかった東欧を見たかったし、ついでにギリシャもじっくり旅行したい。そんな発意で今回のルートの入り口は、モスクワ経由ベオグラード(セルビア・モンテネグロ−旧ユーゴスラビア)からの始まり、ソフィア、カザンルック、シプカ、再びソフィアからギリシャのアテネまで、アテネが出口でした。
 モスクワでトランジット1泊が入りました。シェレメチボ空港の外見は共産主義時代の面影はなく、小国の田舎空港という感じでした。でも中身は共産圏時代と全く同じでした。空港でホテル行きバスを待たされること6時間、何のインフォメーションもなくただ待つのみ、かなりエネルギーを消費してしまいました。共産主義時代から引き続き継承したのは、悪しき官僚組織そのままでした。空港は民営化されなかったのでしょう。30年前と同じでした。
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ベオグラード

 モスクワ9時30分発のアエロフロート機で10時20分にはベオグラードへ着いてしまいました。空港からバスで市内へ、途中鉄道中央駅で降りました。ホテルを決める前に、特急の予約を入れておこうと思ったのです。ここで1泊して翌日8時発のソフィア行きバルカン特急に乗る予定でした。窓口で聞くとバルカン特急は運休中でソフィア行は23時20分発の夜行一本しかないと言います。やむなく予定変更1泊を取りやめて夜行に乗ることにしました。駅で荷物を預け、昼食をとったり市内電車に乗って終点まで行って郊外を散歩したり、ドナウ川の川岸を散歩したり(ここではダニューブ川と言うのだそうです。)12時間を待つだけに使うのは大変でした。
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マケドニア

 なぜマケドニアかと言うと、ベオグラードで夜行に乗るとき1等車が2両あって空いている方のコンパートメント席を取りました。昼間歩き回って、結構疲れていたので発車後しばらくして眠ってしまいました。朝7時ごろ目が覚めてしばらくすると、終点だと言うので降りました。ソフィアの文字はどこにもありません。スコーピアとか書いてあります。変だなーと思っていると駅の構内にいたタクシーの客引きが離れません。どこへ行くのかとしつこく聞くので、ソフィアだと言うとそれならバス・ステーションだといいます。何か狐につままれた様な気がして、ここはどこかと聞くと、マケドニアのスコーピアだと言います。えっ!
 どうやらベオグラードで込んでいる方の車両に乗れば、ソフィアへ行けたのでしょう。行き先の看板を見ずに乗ったのが間違いの元。あきらめてタクシーで、バス・ステーションへ行きました。マケドニアのお金はなかったので、ユーゴマネーの残りで勘弁してくれました。きっとかなり多めだったのでしょう、ソフィア行の切符の手配まで世話を焼いてくれました。ソフィア行は15時です。1日にこれ一本しかありません。切符を買って(23ユーロでした。)また7時間も待つのです。ここはベオグラードよりさらになんにもありません。小さな喫茶店風の食堂で朝飯を食べました。春巻きの様な、ピロシキを食べました。具が豚肉や木の実、キノコなど3種類ほど食べましたがどれも美味でした。バス待ち場で、ギリシャ人の親子ずれや、ボスニアヘルツェゴビナで孤児になった青年と話をして過ごしました。

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ソフィア

 ソフィア行のバスは、3時ちょうどに発車しました。市内を抜けるとすぐ写真のような景色が延々と続きます。途中に国境があり、パスポート検査が2度あり(マケドニア出国とブルガリア入国)ましたが、荷物の検査はバスの荷物室を開けただけでした。国境からソフィアまでは長い下りが続きました。マケドニアはかなり高地なのでしょう。
 バスは21時にソフィアの中央駅に着きました。マケドニアへ行ったり思わぬバス旅行をしたり結構面白かったのですが、夜行の1泊が効いてへとへとでした。ソフィア駅の中にあるホテルを見つけ、そこに決めました。シャワーのみでしたが、ひさしぶりのベッドで爆睡しました。翌日はゆっくり起きて、昼近くのバスで、カザンルックへ向かいました。距離的には、東京−新潟間ぐらいを走って(4時間半)、日本円換算490円でした。やっぱり物価は1/10なのでしょう。

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カザンルック

 カザンルックではパラスホテルに泊まりました。快適なホテルでした。ホテルの窓から見える景色は、煉瓦造りの家々でした。みなちょっとへたりかけています。廃屋もあります。新築のものはほとんどありませんでした。
 ホテルの食事はどう贅沢しても、一食500円を超える事はありませんでした。味や素材も申し分ありません。特に野菜サラダは新鮮で美味でした。豚肉の料理も口に合います。
 シプカにはバスで行きました。きっかり20分でつきました。バスから降りるとオープンカフェが一軒ありました。シプカに移住した高田氏はここに座って交響詩ブルガリアの作曲をしていました。奥様がゆっくり起床なので午前中はここで過ごす事が多いそうです。
 シプカ村の街路樹はプルーンでした。青い実をたわわにつけていました。街路樹にある木の実は自由に採って食べられます。プルーンは甘みがあって食べ出すと止まりませんでした。
 シプカ村ではずっと高田氏と一緒でしたので村の写真は撮れませんでした。でもここを見て移住について考えさせられましたので少し纏めて見ました。興味のある方はこちらをみてください。

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カザンルックからギリシャへ

 カザンルックから列車でソフィアへ向かいました。一等車へ乗りましたが、あまり掃除が行き届いていないので埃っぽく残念に思いました。車窓の眺めは悪くありません。平原に馬や羊、牛の群れを見るのは心を和ませます。ずっと見ていても飽きません。
 ソフィアから23時発のテッサロニキ行きの列車に乗るつもりでしたが列車が入って、よく見ると、テッサロニキ行は、1両しかありませんでした。乗り込んだ時には、座席はいっぱいで座る余地はありません。ヤーメタ!ホテルで寝て明日、バスで行く事に変更して、ソフィア駅構内の前に泊まったホテルに行きました。2部屋しか余っていませんでした。ベッドでしっかり寝て、翌朝6時起きして9時のバスを予約、何とか乗れました。
 バスは快適一路テッサロニキへ...バスは丘陵地帯のアップダウンを繰り返し、国境にたどり着きました。国境でバスを降り、手続きを待つ間トイレに行きました。数十円のお金を払って入るとソフィアあたりのトイレに比べ少しは綺麗ですが、臭いもきつく清潔さを感じません。息を止めながら用を済ましました。ブルガリアでの手続きを済ませバスは50mほど走って国境を越えギリシャに入りました。ギリシャのイミグレーション手続きが終わるとそばのレストランで全員が軽い食事をとります。運転手たちの休憩時間も含めているのでしょうたっぷり時間をとりました。こちらは時間が余ったのでギリシャのトイレを覗いて見ました。お金はもちろん取られませんし、清潔で、きれいで臭いもしません。ちょっと我慢してこちらのトイレに入れば良かったと後悔しました。もしかするとトイレの有り様は文明度を表しているのかも知れませんね。
 国境をすぎると、道路の両側には、農機具やトラクターの販売店、車のディーラーなどが並び、おなじみの景色に変ります。ブルガリアがトラクターで農業をするようになるのはずっと先の事かも知れません。

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アテネ

 テッサロニキ駅でバスを降りました。駅の食堂で自由を満喫しながら遅い昼食をとりました。ここからは、電車でアテネへ向かいます。2時間おきにアテネ行の特急が出ています。4時発のアテネ行に乗車出来ました。列車は、ヨーロッパの鉄道と同じく綺麗で快適でした。スピードもあります。しばらく海岸線を走ると、長い登りになりゆっくりと峠を超えます。5時間あまり走って21時過ぎにアテネにつきました。アテネはラリサ駅に着きます。駅の周りは静かで、何もありません。ホテルは地球の歩き方からピックアップしてあったので、リヴォリホテルに向かいました。このホテルはオリンピックに向け改装中で休館中、近くのスタンレーホテルにチェックインしました。少々予算オーバーでしたが部屋からはアクロポリスが見えてご機嫌でした。翌日はゆっくりと起床ギリシャ見物をしました。
 ギリシャは2004年のオリンピックへ向け街中が工事中でした。取りあえず地下鉄で動き回り、アクロポリスのパルテノン神殿へ行きました。この山の上からはアテネ全体が見渡せます。しばらく景色に見とれていました。すばらしい眺めです。パルテノン宮殿もやっぱり修復工事中でした。
 食事をして繁華街を徘徊していると、辻音楽士にであいました。珍しいのでくっついて歩きました。ピアノ線を叩く様な音をさせハンドルを回して音階を発生させます。一種の手回しオルゴールです。それに合わせておじいさんが歌います。奇妙な旋律ですが不思議な魅力がありました。

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エギナ島

 地下鉄で終点のピレウス駅まで行き、港にでます。何軒もある船の切符売り場の中から適当な店を選び、13時発エギナ島行のジェットフォイルの切符を買いました。40分でつきました。降りてすぐにレストランに入り食事をしました。魚のメニューが豊富で、野菜不足を補うサラダ以外は、魚類を選びました。たこと鰯のフライをたらふく食べました。海を見ながらビールの味も格別でした。
 島を見て回りました。レストラン、おみやげ屋街は、船着き場の周りに500mほどしかありませんでした。繁華街が切れる頃、海岸は砂浜になり海水浴をしている人がちらほらといました。路地を入ると白い壁の家々があります。写真を撮りまくりました。
 海辺にたこ干して焼いていました。写真のようにたこが大きめです。昼食がいっぱいでたこ焼きは食べませんでした。食べ損ねたのは、今でも悔やまれます。腹一杯でも食べておけば良かった...

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−カウント開始2004年2月2日−

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